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2010年5月24日 (月)

ラッシャー木村の死で思い出した「レイジングブル」

ラッシャー木村が亡くなった。

また、一人、昭和の名レスラーとお別れだ。



ラッシャーには大きく分けて、三つの時代があった。国際プロレスのエースの時代、新日本プロレスのヒールの時代、そして全日本プロレス以降のコメディアンの時代だ。

僕の中で、彼の晩年のリング上での姿はロバートデニーロの「レイジングブル」とだぶる。

格闘家はどこかコメディアンと似ているのだ。



それにしても、彼ほど、人間味を感じさせるレスラーもいなかった。

本来、格闘技に「人間味」など必要なかったのかもしれないが、僕らファンには彼の味がいつの間にか病みつきになっていた。



彼は確実にプロレスという芸能の幅を広げた名人だったと思う。



来月発売予定の「家紋主義宣言」でも馬場さんや、三沢さんについて書かせていただいた。

僕は自分の処女作に、いろんなことを教えていただいた(あくまでリング上の姿で)レスラーのことをどうしても記しておきたかったのからだ。

こうなるんだったら、ラッシャーについても書いておくべきだった...



亡くなったレスラーはなぜ、いつまでも僕らの心を締め付けるのだろうか。



さようならラッシャー木村。



まさむね

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