80年代の映画を語る 「存在の耐えられない軽さ」
今、思えば80年代という時代は面白かった。
いわゆるバブルという時代だ。
僕は20代だった。会社が終わると意味も無く、上司に連れられて、接待で歌舞伎町の朝鮮パブに連日行った。
僕は酒を飲めないので、ただその場にいるだけだった。
何が楽しいのかわからないのだが、みんな浮かれていた。
困ったのは、一人ぼっとしていた僕に、ホステスさんが箸てつまんだキムチを口に入れてくれようとすることだ。
サービスなのだが、僕はキムチが嫌いだったのだ。
深夜0時近くなると、お客さんが帰る時間だ。僕はその30分前に靖国通りに出てタクシーを誘導するのだが、ぼくが呼んだタクシーがどこにいあるのかわけもない。何十台のその辺に止まっているからだ。
携帯などまだ無い時代の話である。
探してもわからないときは、予約客待ちのタクシーの運転手にテキトーに「佐藤です」とか「鈴木です」とか言ってタクシー予約の客を装って誘導した。
半分冗談だが、たまにはタクシーがつかまることがあった。
考えてみれば馬鹿な話だ。
その頃はよく映画を見た。おそらく年に50本は観ただろう。
そんな思い出話をよしむねさんとした。
よしむねさんも映画ファンだったという。
そうして一本気新聞でも80年代映画特集をしようという話になった。
なんでもいい。とにかく、80年代の映画を思いついたら一つづつエントリーにしようという話である。
本当だったら、もう一度見直して、当時の感想の比較を書ければいいのだが、生憎、自宅のDVDプレイヤーが壊れていて見ることが出来ない。
だから、しばらくは記憶の中の80年代の映画について書こうと思う。
詳細はぼやけていて、かなりの部分、間違いも入っているかもしれないが、逆にそれでもいいかとも思う。間違いも含めて「僕の中の80年代の映画」なのだから。
1本目は、「存在の耐えられない軽さ」=「The Unbearable Lightness of Being」。
これは、1968年のプラハの春、そしてソ連軍の弾圧を映画化した話だ。主演はダニエル・デイ=ルイス。ついこの間、「NINE」という映画にも出ていた。
実はこの映画、僕は日本ではなく、カナダで見た。だから、プールで主人公のトマージュが水着姿の女性達の裸をイメージするシーンではモザイク無しで見ているのだ。
日本では三鷹の映画館で見た。ただ、もうその映画館は無い。
僕が何故この映画を覚えているのかというと、この映画の主題である。「存在の軽さ」とは何なのかということをずっと考えているからだ。
人はいろんな思想を持つが、行動はそれを超えることがある。マルクスがいうところの命がけの飛躍だ。
何故、そんなことをしたのかと言われても、「ただそうしただけ」ということがある。それが、人間の行動の本質ということだ。
漱石の「それから」の代助が最後に駆け落ちするシーンだって、実はよくわからない。何故なのだ。おそらく、ただ彼は駆け落ちをしただけなのだ。
しかし、その「存在の軽さ」=「人生の軽さ」というこの映画の最大のテーマ、究極的には人生の軽さについて、翻訳者の戸田なつこ先生は、こう訳していた。
「人生ははかない」
う~ん。どうなんだろう。これでは仏教思想ではないか。
この結論が僕の中では出ていない。だから、僕はまだこの映画が心の中でひっかかっているのである。
まさむね
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