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カテゴリー「1989」の4件の記事

2010年5月18日 (火)

「その男凶暴につき」は「寅さん」の陰画だったのか

1980年代最後に登場した画期的な映画、それが北野武の「その男凶暴につき」であった。

映画の歴史は、作品と制度との戦いの歴史でもある。

いい映画は、どれも"映画という制度"と戦っている。その意味で、この「その男凶暴につき」はいい映画だったと思う。



この映画が戦っていたのは、それまでの映画の中の暴力という制度である。

現実世界での暴力は常に唐突だ。しかし、この映画までの映画の中の暴力は、まるでプロレスの技のような「芸」に過ぎなかった。



この映画で、ヤクザの流れ弾に当たって死んだ女子高校生、この瞬間、映画は進化したのだと、僕はこの映画を観たときに思ったものだ。

しかし、この唐突の暴力は北野武の「芸」だったということを後で知った。

やはり彼は天才だ。



この映画のラスト近くのシーンで、アズマは気の狂った妹(川上麻衣子)を銃殺した。凄いシーンだった。

映画における兄と妹、僕はそのシーンで「寅さん」を思い出した。

「その男凶暴につき」は「寅さん」の陰画だというのがそのときの直感である...が、おそらく、それは正しくなかった。



僕の直感は大抵が間違える。

そして、この映画はその間違いの一つと一緒に僕の心の中に残った。



まさむね

2010年5月 8日 (土)

僕らも「真夜中の虹」のように希望を持って"南"へむかおう

あの頃(1989年頃)はちょうど、カナダから帰ってきたばっかりで、何かを埋めるかのように映画を観まくっていた。

一日三館のハシゴなんていうのもやったな。

僕のベストは、「冬冬の夏休み」(侯孝賢)、「コックと泥棒、その妻と愛人」(グリナウェイ)、そして「真夜中の虹」(カウリスマキ)をハシゴしたあの日だ。



どれも素敵な映画だったけど、その三作の中で最も印象に残っているのが、世界最北のラップランドで炭鉱が廃坑になり失業した男が"ほっかむり"をして雪風を避けながら、オープンカーのキャデラックで、とにかく南に向うシーンである。

「真夜中の虹」の冒頭に近いシーンだ。



一生懸命に生きているのに人生がどんどん下降していく、それでももがきながら夢を追い続ける。いいなぁ。



この映画を観たときの率直な感想は、フィンランドという最果ての国の不幸はどうしようもないなということ。

カウリスマキの他の映画だったけど、家に帰った男が靴のままで適当な食事をしてそのまま寝るシーンにフィンランドとうい国が陥った総合的な貧しさを感じたものだ。



しかし、あれから20年、一人当たりのGDPでは日本はフィンランドに抜かれている。

人生と同じように、国だって浮いたり沈んだりする。

だからこそ、僕らも雨の中でもオープンカーで走り続けなければならないのかもしれない。



まさむね

2010年4月21日 (水)

「北京の西瓜」で時間が止まったのは逆に日本なのだ

「北京の西瓜」は1989年の大林宣彦の映画だ。日本にやってきた中国人留学生とそれを受け入れる八百屋の親父(ベンガル)との心の交流の物語である。

あのころの大林の映画は、次の「青春デンデケデケデケ」もそうだが、一人の人がしゃべっているのに別の人のセリフがかぶってくるような独特の演出がなかなか新鮮だった記憶がある。

そしてさらに、この映画が今でも記憶に残っているのは、そうした演出に加えて、後半部分で大林監督が「撮れなかった」映像というのが空白の部分として刻印されているからだ。

この撮れなかったというのは、いわゆる天安門事件が起こって、撮影が出来なくなったこと、それによって多くの若者が惨殺されたということに対する彼の抗議の現れである。



あの映画のあそこで、時間が止まった。この映画を観た当時、中国の遅れに関して僕は怒りというよりも哀れな感じがしたものだ。

あれから、20年。しかし現在、中国は飛躍的な成長をとげ、一方で日本は悲惨な状況だ。今日を誰が予想しただろうか。

先日、興味があった、最近の中国で人気がある日本のドラマについて調べていて、こんなページをみつけた。



中国人が一番好きな「日本のドラマ」



これによると、な、なんと、今でも日本の人気ドラマは「東京ラブストーリー」なのだ。

また、JETROの右記の調査レポートによると、 「中国における日本産コンテンツの放映・上映・発売状況等データ (2009年度 第2 四半期)」、2009年になっても、例えば、上海TV-東方衛星放送Chではこのドラマの再放送を続けているのである。



これは、日本の絶頂期のドラマである。放映は1991年だが、原作が書かれたのは1988年だ。

もしかしたら、中国における日本へのあこがれというものがあったとしても、それは80年代でとまってしまっているのかもしれない。

そして、さらに残酷なことにそれ以降の日本は中国にとって見るべきところではないのかもしれない。

勿論、現代でもインターネットの不法サイトで日本ドラマは続々と中国人に視聴され続けている。いわゆる哈日族(これはおもに台湾での言い方だが)というのもいることはいるのであろう。

しかし、大衆レベルでは、日本は既に過去の国なのかもしれないのだ。



ということは「北京の西瓜」で時間が止められたのは、逆に日本なのだ。

そんな逆説を考えさせる映画であった。



まさむね

2009年12月25日 (金)

ニュー・シネマ・パラダイスの20年

この間、ラジオを「ながら」で聞いていたとき、今年2009年が映画「ニュー・シネマ・パラダイス」(ジュゼッペ・トルナトーレ監督)が公開されてからちょうど20年めだということを改めて知った。これは別に大事件でもなんでもないのだが、公開年である1989年というその区切りの年号といい、ぼくにとってはなにか極めて感慨深いものがあった。もちろん当時ぼくはリアルタイムでこの映画を観た。



20年といえば成人に代表されるように人が生まれていっぱしの大人になる年数だし、経済用語でいえばキチンの波(40ヶ月)、ジュグラーの波(10年)と来てクズネッツの波(20年)を迎えるわけで、世の中の建築需要などが大きく動く年単位に相当すると言われる。

20年ではないが、「澁澤流30年長期投資のすすめ」(澁澤健著、角川SSC新書)などに見られるように長期の運用哲学が花開くことをおっしゃる方もいる。因みにこの方は明治時代の日本経済(資本主義)の礎をつくった渋沢栄一さんの5代目ご子孫だ。つまり20年という単位はなにかが大きく変わってもおかしくない単位の一つであるということ。それだけの年数を自分もすでに生きてしまったわけで、それに対する感慨がなかったといえば嘘になる。



そして1989年という記念すべき年。この年は世界史的にはベルリンの壁崩壊があり、日本がバブル崩壊する直前の年(言わずと知れた大納会のときに付けた日経平均38,915円が歴史的ピークで、年明け以降はこれが急降下してゆくことになる)で、いわば国内海外をふくめた世の中全般が大きく変動してゆく前年にあたっている。

ニュー・シネマ・パラダイスはわざわざ説明するまでもないくらい人口に膾炙している映画で、映画史上では名作中の名作と呼ばれる類の作品。何がしかのランキング投票を行えば必ずベスト10位入りすることは間違いないだろう。あまりにも有名なエンニオ・モリコーネのサウンドトラック(旋律)もどこかで必ず聴いているはずだ。



ぼくが最初この映画に感動したのは、これもまたあまりにも有名なラストの古い映画のキスシーンの数珠つながりのシーンだ。洗礼の水でも浴びるようなフィルムの切れはしたちの映像の連鎖。検閲にひっかからないようにフィリップ・ノワレ演じる映写技師アルフレードがそれらのフィルムを切り刻んでいたわけだが、その「記念品(形見)」を主人公が上映してながめるシーン。ここには過ぎた時への回想とともに、トルナトーレ監督自身による古き映画への紛れもないオマージュもあったはずだ。

映画は生き物であり、おそらくその時々によって何に感動するのか、その印象も確実に変わってゆく。ぼくにとってのニュー・シネマ・パラダイスもその意味では変化し続ける作品なのかもしれないが、今もあらためて惹かれている部分があるとしたら、それはたぶんこの映画がノスタルジーに貫かれた追想の視点で描かれていることだ。主人公の幼年時代への、町をとりまく環境への、高校時代の恋人への、その別れへの、親しい友人への、なによりも大好きだった映画館への、そうした失われたものたちへの、追想のオマージュ。    

そして映画の最後のほうで、アルフレードの死の知らせをうけて故郷へ帰る決心をした主人公はなにかと和解し(過去と現在に連なる時間と?)、その葬式参列の日にかつての知人たちの多くの顔に出会う。そこに見いだされるのは、時が確実に刻みつけた人々の顔の変化であり、それと同じだけ主人公も年を重ねたという事実、そしてそれらがある懐かしさをともなって現れてくるのだ。ちょうどプルーストが「失われた時を求めて」における最終巻の「見出された時」の仮装パーティーで「時」の交差と出会ったかのように?・・・・。



1989年のバブル崩壊のあとの、日本の20年。失われた10年とも20年とも言われる、その長いだらだら坂の低迷。この間の最初の10年でみても、単に経済情勢の激しい変化だけではなく、オウム事件や阪神大震災に代表される大きな社会的な事件や天変地異があった。次の10年でみても不景気なのに異常なくらいのラッシュとなった都市の大規模再開発(六本木、汐留、丸の内)など、とても変化の激しいDecadeだったと言える。そのあまりにも振幅が大きいために誰も正確に語れないような時代。そして今、ぼくたちはニュー・シネマ・パラダイスの主人公と同じように、その日本の周辺のあちこちに、それこそ制度疲労のためかすっかり「老いた」日本の多くの顔たちとその残像に出会っている。



21世紀を前にしてその最後の10年の手前で公開されたニュー・シネマ・パラダイスは、そう思えば予見的な映画だったのかもしれない。それは華やかな未来よりもどこか追憶の過去にひきよせられ、新しさよりも追憶のさざ波に揺れているような映画だからだが、それこそまさに現代の風景そのものにも思える。現代において新しいものはまだあるのか? あるのは追憶だけなのか? 失われた過去への記憶だけなのか? 果たして、ぼくらはこの老いた日本の再生の果てに、ニュー・パラダイスを見ることができるだろうか? 

                                

よしむね




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