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2000年1月26日 (水)

ナベツネと長嶋

同時代のヒールといえば、やはり読売のナベツネだろう。あの傲慢さの佃煮といったたたずまいは、売れりゃいい、勝ちゃいい、視聴率ありゃいいといった結果オーライ主義の勝者としての面目だろう。

巨人ファンとしては、そのナベツネの存在に耐える事が、巨人ファンでありつづける事の試練になっている。

その構造は、対局にある阪神ファンでありつづける事が、弱い事に耐えつづける事という試練を乗り越えねばならないのと同様に、いやさらに強大な困難であるに違いない。

しかし、かくもプロ野球ファンであると言う事は宗教的な行為なのであろうか。

もっとも、その巨人ファンは、巨人ファンである事の唯一の救いあるいは、もっと砕いて言うならば解毒剤としての長嶋茂雄を愛さずにはいられない。

私は、長島のユニークな発言はさておき、彼を、野球が「野球」として成立する以前の何か別なスポーツになりえたかもしれない可能性を体現している存在として認識し、それゆえに彼を天才と呼ばざるを得ない。

例えば、悪玉打ちとかホームスチール王とか、そういった制度として確立してしまった現代野球以前の無限の可能性を彼に見るのであった。確かに巨人の高橋などは、現代野球を実践する者として優れた技術者としては評価できるが、野球を別なスポーツに変えるほどのエネルギーは感じられない。

しかし、逆に言えば、いつまでも長嶋に頼ってばかりいられないのがプロ野球のつらいところではある。



まさむね。

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