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2000年1月19日 (水)

ルミ子の離婚等

やはり触れなければならないのがルミ子と賢也の離婚の件であろう。

圧倒的に世論の同情を集める賢也側が支払う金額が1億2千万円とも言われているが、それはルミ子が被った心労の対価だとすると、確かにあまりにも法外だ。

ノック辞任の時も結局はお尻を触ったか触らないかわからない状況で、1千万円以上+失職という対価を彼は払わざるを得なかった。

いいか悪いかという二分法で言えば悪いに決まっているのだが、しかし相手の「嫌」というのはそんなに価値のあるものだろうかと考えさせられる。

人と人とが暮らせば別に嫌な人でなくても、あるいは親友相手でも当然、「嫌」なことはある。それは人間として宿命的な事だと思うのだが、これから男VS女に限らずあらゆるところで、他人の「嫌」を気にしなければならないような不自由な社会になるかと思うとそれこそ「嫌」である。

一方で、21世紀をひかえて、政府が夢のような構想をぶちまけた。それによると、義務教育が週3回になるかもしれないという。詰め込み教育に対する反省という事なのだろうけど、これで、自由で、のびのび育った個性的な人を増やそうとしているのだろうか。

でも、大体、社会が必要とする「個性的な人の必要率」というのがあると思うんだけど、そうなると、「個性的になりたかったけどなれなくて誰のせいにも出来ない不幸な人」が確実に増えるだろう。

今まで、学校というガチガチの制度の「せい」にすることによって己の不甲斐なさから目をそらす事の出来た面々にとっては、大変な事態とならざるを得ない。

また、その頃には週4日は適当に遊んでいた多くの人と、その時間を使って勉強させられる金持ちとのその後の人生も大きく変わっていくだろう。ようするにアメリカみたいに、建前は機会の平等があるけど、実際は、WASPしか出世できないシステムに近づくはずである。

さらに、それまで週3回しか学校に行っていなかった学生を引き受ける会社はまた新たなストレスを生むに違いない。ようするに「嫌」なことをしないですんでいた人々がいきなり「嫌」な事に直面しまくるのだ。

一方で、「嫌」を犯す事の罰が重くなるのに、もう一方で他人の「嫌」を想像して、STOPするだけの教育は十分に出来ないのではないだろうか。

まぁ、実際にそうなるという事はないと祈るが、文部省もヒールとしての己を放棄したとき、存在意義を失うという事を考え直して欲しいものだ。



まさむね。

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