事件と時代性
たしかに、昨今猟奇的な事件が話題になっていて筑紫テツヤ的には現代の閉塞感とか言い出しそうだけど、昔は家族やコミュニティがあって各々に居場所があって現代はそれがないのが原因見たくね、でも、考えてみればいつの時代でも事件は起きているんだよね。閉塞間で言えば戦前の事件で八墓村のモデルになった津山三十人殺しとか起こった際には田舎の因習に対する閉塞感みたいなものが一員だろうしね。まだ報道されるだけ現代のほうが風穴開いているとも言えるしね、以前の江戸時代の農民は米食ったことがないという神話にも通じるけど安直な想像や単純な潔癖感で真相が単純化されちゃいますよね。
最終的に想像力って、イッチャッタ人の想像力には、常識的な作家には追いつけないものがありますもんね。彼らの想像力は観客に対するケレンみはなくて、欲望に忠実だから選択肢も多いしね。
ところざわ
« 飯田と保田とモンテクリフト伯 | トップページ | とにかく中澤裕子だ。 »
「時事ネタ」カテゴリの記事
- 想像力の谷間(1999.12.21)
- 吉野川の住民投票(2000.01.25)
- 新潟の監禁事件と文学(2000.02.03)
- 新潟とモーニング娘の保田圭(2000.02.04)
- 事件と時代性(2000.02.08)
「TV番組 マスメディア」カテゴリの記事
- 事件と時代性(2000.02.08)
- 日本人は権威主義?(2000.02.10)
- トゥナイト2に乱一世が復活(2000.03.21)
- 東スポの変わり身(2000.10.30)
- アキバ事件-サンモニでの識者-(2008.06.18)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント