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2000年2月 2日 (水)

坂口安吾とモーニング娘。

かつて、坂口安吾は「突然、何かに突き放されるような感じ」の事を文学における「ふるさと」という言葉で表現したが、これは、例えば、ジャイアント馬場を見ていたときに感じた一瞬の沈黙とか、漫画ならばつげ義春なんかにも感じるような冷たさとも通じるものなのじゃないかと思っている。

こういう観念に取り付かれてしまうと、どうもそれからは自分が何かを見るときの指標としてこの「ふるさと」探しという事がメインテーマになってしまう。

そこで、モーニング娘である。別に彼女たちの「ふるさと」という曲の事を言いたいのではない。僕はそのモーニング娘。の飯田香織に、そんな感じを感じたのだ。彼女の自分を持て余した感じ、居心地の悪さは、モーニング娘。でも異色中の異色である。

それは中澤のあねさん的なサバサバした魅力とも、なっちの正統的なアイドル性よりも、後藤のまだアイドルになりきれないが、その成長物語よりも、市井さやかの健康な向上心よりも、矢口のロリコン的なエロスよりも、保田のアイドルにしかなれなかったと言わんばかりのハツラツな馬鹿よりも、実は僕の目をひくのであった。



おそらく沖縄アクターズスクールからは逆立ちしても登場し得ないような彼女たち、特に飯田に僕は注目したい。





まさむね。

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