Piecesの真意(ラルク論)
ラルクアンシエルの「Pieces」という曲の歌詞に以前、感心したことがあった。
「私のかけら(Pieces)が昔の恋人の元に飛んでいく」というアニミスティックで奥深い内容が、安倍晴明があやつったといわれる式神をも彷彿させ、タダ者ではないと思わせたのだ。
しかし、先日、カラオケで歌ってたら、これは子作りの歌ではないかということにフト気づいてしまい、(ラルクを歌う事自体がよっぽど恥ずかしいという議論はさておき)いきなり自分が恥ずかしくなった。
「ねぇ遠い日に恋をしたあの人もうららかなこの季節愛する人と今 感じてるかな?
あぁ私のかけらよ力強く 羽ばたいて行け振り返らないで広い海を越えてたくさんの光が
いつの日にもありますようにあなたがいるからこの命は永遠に続いてゆく 」
この部分は、ソーテックのCMにも使われた部分であるが、昔の彼女の事を考えながらセックスして、射精した男が、我に返り、目の前の女に『君のおかげで子孫を残せるよ。』と考えたところ。と言えなくも無いと思う。ちょうど、「感じてるかな?あぁ~」で盛り上がって音楽が止まるところが、射精の瞬間のメタファで、Pieces=私のかけら=精子、広い海=女性器とかさぁ。どうでしょう皆さん。
まさむね
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