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2008年6月19日 (木)

道路建設の末路としての木更津キャッツアイ

道路特定財源の一般財源化の方針が決まり、これから秋にかけて、どの道路を作るの作らないのという激しい論議が水面化で始まりそうだ。



道路を作ることの大きな理由は、地域の活性化とのことである。

確かに、工事中は、地元民にいくばくかの労賃が落ちて若干は潤うのだろうが、開通後は、逆に経済活動が低迷するケースがあまりにも多い。

有名なのはアクアライン開通によって、大型店舗(そごう、ダイエー)が相次いで撤退し、駅前がシャッター街となってしまった木更津である。



そして、この寂れた地方都市の現実を斬新な手法で描いたのが、「木更津キャッツアイ」であった。



このドラマは、時流に取り残された木更津という街で、まったりと生きる野球青年達の群像話である。



主人公のぶっさんは、シャッター通りにある床屋の息子。癌宣告を受け、余命数ヶ月と診断されるが、なかなか死なない。

彼は、財政破綻寸前だが、補助金、交付金、市債等で生き延びる木更津市(というか全国の地方都市)の象徴だ。



オジー(古田新太)は、木更津の高校の先輩。過去の記憶を失い、木更津の守り神(石像)となる。

こちらは、古くからの共同体が崩壊した地方都市が、町おこしと称して、わけのわからないハコモノやオブジェを作成する事によって、逆に土地固有の匂いを消し去っていくという矛盾を婉曲に批判。

木更津的に言えば、海ホタルくんのパロディとも見られる。



また、それ以外のメンバーも、それぞれが、土地の呪縛と閉塞的な現状の中、中途半端な時間を過ごす。



道路による地域活性化は幻想だということを再度、検討すべきだ。



まさむね

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