隣の晩御飯と地域格差の実態
ヨネスケの突撃・隣の晩御飯は、日本テレビの情報番組の名物コーナーである。
毎回、ヨネスケが突然、晩飯時のお宅を訪問し、そこの家の晩御飯を紹介し、時には勝手につまんでしまうという全く持ってずうずうしい企画だ。
かつては、朝のワイドショーのコーナーだったのだが、現在は、夕方のNEWSリアルタイムに時間を移して放送されており、なんと、今まで16年間で2000軒以上のお宅を訪問しているという。
ヨネスケが入っていくと、人々は一様に「何にもないんですよ」とか「たまたま、嫁がいなくて」とか「もう、ご飯は済んじゃったんですよ」とか「これ、残り物なんですよね」と言いながらも、彼を導きいれ、次々におかずを紹介する。
突然、ヨネスケに踏み込まれた家の人たちの、羞恥心と自慢心がいやらしくも交錯する、その気まずい瞬間を垣間見えるところがこの番組の一番、楽しいところだ。
前回、9月4日の放送では、ヨネスケは千葉の漁師さんの家を突撃した。
お決まりのように、「イヤーだ。イヤーだ。」と言いながら、食卓にヨネスケを案内するお母さん。
その食卓には、ランニング姿のお父さんが、カレーを食っていた。
驚いたのは、そこに並べてあった品々だ。
1.アジのなめろう
2.瓜の漬物
3.エビチリ
4.ハンバーグ
5.巻き寿司
6.主食のカレーライス(何もなかったということで出前した:お母さん談)
この人たちは食べ物の喰い合せというものを考えないのだろうか。
とにかく、いろんな食べ物を並べれば、「豊かな食生活」が演出出来ると考えているのだろうか。
僕は、その食卓のコンセプトの無さにある種の"貧困"を感じざるを得ない。
(ちなみに、こういう家は大抵、ゴチャゴチャいろんな物が置き散らかっており、ガラスの人形棚には、例えば、マトリョーシカとコケシとバービーと博多人形が混在している。)
しかし、同時に、こういったタイプの家には、おじいちゃん、おばあちゃん、息子(長男)、その嫁、子供、赤ちゃん、それに近所の人...という感じの人たちが居て、大笑いしながら楽しそうに暮らしている。その大家族の繋がりは、まだまだ生き残っている地方の共同体の"豊かさ"を感じさせる。最近、地域格差という事が
よく言われている。しかし、「突撃・隣の晩御飯」の世界は、決して地方の疲弊を感じさせる事はない。
ちょうど、この頃は、ガソリンの値上げで漁師達が、「もう我慢できない」と一斉操業休止をアピールしていたタイミングだったのだが、ここのお父さん(アジ漁師)にはそういった苦悩は全く感じられなかった。
恐らく、地方の疲弊の本質は、こういった"豊かな"お宅にではなく、一方で確実に存在する人的ネットワークが遮断された孤独な個人にこそ、宿っているのではないかと思われる。
ようするに、格差社会は、都会VS地方というよりは、地方の中での、共同体の人々VS孤独な人々という図式の方が深刻なのではないだろうか。
私の見た限り、ヨネスケは、例えば、一人暮らしの老人が、漬物とご飯だけで食を済ませているような安アパートや、フリータが一人でコンビニ弁当を食べているような1Kの簡易マンションを突撃した事はない。この番組はそういった地方のもう一つの顔を周到に無視しながら、今日も明るく進むのである。
まさむね
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