文字紋 -わかりやすさ第一の優しい紋- 石田三成、志賀直哉、丹波哲郎...
家紋の中で一番わかりやすいのが文字紋である。
近頃は、ローマ字ロゴが全盛の時代だが、「丸に文字」の文字紋もまだ残っている。
それは、丸に文字紋が、かっこ良さは別にして、ご年配にわかりやすいからに違いない。
左画像はご存知の通り、左上=伊勢丹、右上=大丸、左下=三越、右下=高島屋の「丸に文字」ロゴである。
大衆相手の百貨店にとって、わかりやすさは大事なのだ。
文字紋は全国で26位。
長野県で12位、宮崎県で14位。
おそらく、長野県では、丸に上文字紋が多いだろうと推測できる。村上発祥の地だからである。
また、丸に十字紋(轡紋)に関しては、久留子紋のページをご覧下さい。
文字紋を持つ有名人は以下。
村上義清。1501年3月29日 - 1573年2月3日、戦国時代の武将。
村上顕国の子として葛尾城に出生。村上氏は清和源氏。信濃埴科郡葛尾城主で武田晴信の侵攻を2度撃退するなどの武勇で知られ家督相続時には信濃の東部から北部を支配下に収め村上氏の最盛期に当主となる。家紋は丸に上文字。


伊予の名族・河野氏の一族。美濃で土豪となる。土岐氏、斎藤道三から斎藤氏3代、織田信長、豊臣秀吉に仕える。江戸幕府第3代将軍・徳川家光の乳母となる春日局の養祖父。家紋は隅切角に三の字。画像は正成系稲葉家宗家16代・稲葉正邦の墓所にて撮影。


来島村上氏の第四代当主。村上水軍(来島水軍)の大将。河野家家臣としての内政、外交、軍事の各方面での中心的役割を果たす。毛利元就が陶晴賢と厳島にて戦った時は毛利軍の援軍として参陣。家紋は伊予・大山祓神社の神紋、折敷に縮み三文字紋。


徳川本家の最古参の安祥譜代の本多氏で本多忠高の長男。本姓は藤原氏。家康の家臣として数々の武功を上げる。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられる。上総大多喜藩初代藩主、伊勢桑名藩初代藩主。家紋は立葵(左)と丸に本の字。


美濃の豪族・仙石久盛の四男として美濃で生まれる。仙石氏は清和源氏である土岐氏の支流。羽柴秀吉の家臣として仕える。賤ヶ岳の戦いが終結すると、秀久はこれまでの功を評価され、淡路国洲本城主5万石の大名となる。家紋は丸に無の字紋と永楽銭紋。


尾張国丹羽郡宮後村出身。蜂須賀正勝の長男。父の替りに阿波の大名に任じられて徳島藩祖となる。阿波踊りは城が竣工した折、家政が城下に城の完成祝いとして「好きに踊れ」という触れを出したことが発祥と言われている。家紋は蜂須賀万字。


石田正継の次男として近江国坂田郡石田村で生まれる。秀吉の小姓として仕える。豊臣政権の五奉行の一人。家康を排除すべく、上杉景勝・直江兼続らと密かに挙兵の計画を図るが関が原の戦いで破れる。家紋は九曜紋と大一大万大吉紋。


京都出身。豊臣秀吉の馬廻衆として取り立てられた。秀吉の死後は豊臣秀頼の側近として仕えた。家康暗殺疑惑事件の首謀者としてその罪を問われ下野国に流罪される。大坂夏の陣で破れ自害。家紋は大文字。画像は大河ドラマ「江」中の治長(武田真治)。


備前国岡山城主の宇喜多直家の次男。幼名は八郎。羽柴秀吉の遠征軍に組み込まれ秀吉による備中高松城攻めに協力。秀吉の寵愛を受けてその猶子となる。豊臣政権下の五大老の一人。関が原の戦いに敗れ配流。家紋は剣片喰(左)と児の字(右)。


実家の斎藤家は美濃国の守護代を代々務めた武家の名門。本名は斎藤福。伯父稲葉重通の養女となり、稲葉一鉄の縁者で稲葉正成の後妻となる。江戸城大奥の礎を築いた人物。墓所には葵紋と稲葉家の家紋・折敷に三の字がある。


六角氏の旧臣・三井高安の長男・高俊が武士を捨て伊勢国松坂で質屋と造り酒屋を開業。三井家の姓は藤原。三井家の基礎を築き江戸本町に呉服店を開業。屋号を越後屋(後の三越)とし、後に両替商も開業。家紋は井桁に三の字と四つ目結紋。


江戸浅草阿部川町の名主(なぬし)。元禄11年、あたらしい宿場開設を幕府に願いでて、内藤氏屋敷前に内藤新宿をひらき、甲州街道をとりしまる名主となった。家紋は抱き鷹の羽に変わり「高」の文字紋。画像は四谷・愛染院にて撮影。


筑前国福岡藩士、貝原寛斎の五男。家紋は一の字。京都留学で本草学や朱子学等を学び、木下順庵、山崎闇斎らと交友を深める。著書の多くは平易な文章で書かれており、六十部二百七十余巻に及ぶ。主著は『大和本草』『養生訓』『和俗童子訓』等。


越前藩士・杉森信義の子として生まれた。本名は杉森 信盛。家紋は墓所より丸に一の字紋。竹本座に属する浄瑠璃作者で、中途で歌舞伎狂言作者に転向した。100作以上の浄瑠璃を書いた。代表作『曾根崎心中』『国性爺合戦』『心中天網島』等。


江戸日本橋出身。幼名は勝次郎、通称は源蔵。文化文政期の爛熟した町人文化を色濃く反映した作品を世に出す。単に鶴屋南北または南北というとこの四代目のこと。代表作は『東海道四谷怪談』『盟三五大切』『繪本合法衢』。家紋は丸に大の字紋。


陸奥国西磐井郡中里出身。一関藩の医師でのちに藩医となった大槻玄梁の長子。『解体新書』の翻訳で有名な杉田玄白・前野良沢の弟子。私塾・芝蘭堂をひらいて多くの人材育成した。蘭学の入門書『蘭学階梯』を著す。家紋は左卍紋。


江戸・深川の出身。本名は岩瀬醒(さむる)。生家岩瀬家は木場の質屋。黄表紙や洒落本で売れっ子作家となる。代表作は『江戸生艶気樺焼』『忠臣水滸伝』『近世奇跡考』等。寛政の改革で手鎖の処罰を受けた。紋は、「巴山人」の文字紋。


秋田藩士の子として生まれ備中松山藩士の兵学者平田篤穏の養子となる。本居宣長らの後を引き継ぐ形で儒教・仏教と習合した神道を批判。やがてその思想は水戸学同様尊皇攘夷の支柱となる。紋付、墓所の紋は右卍だが平田神社の神紋(画像)は左卍。


尾張藩出身。杉田玄白の後裔者。若狭小浜藩医になり蕃書調所・洋書調所教授、外国奉行支配翻訳御用頭取を歴任。開成所教授の蘭学教授として新島襄など多くの人材を育てる。家紋は田の字紋。画像は青山霊園にて撮影。


長州藩士(大組219石)・周布吉左衛門の五男。読みは、すふまさのすけ。財政再建や軍制改革、殖産興業等の藩政改革に尽力。禁門の変や第一次長州征伐に際して事態の収拾に奔走。家紋は亀甲に久の字紋。青山霊園にて撮影。


鹿児島城下新屋敷に出生。薩摩藩士・得能直助の長男。読みは、とくのうりょうすけ。維新後、大久保利通の推挙によって大蔵大丞兼民部大丞に任じられ、その後も司法大丞、初代大蔵技監等を歴任。家紋は丸に三つ割菊に三の字紋。画像は青山霊園にて。


武蔵国日野宿北原にて八王子千人同心世話役の井上藤左衛門の三男として出生。近藤勇の兄弟子。新選組の六番隊組長を務める。家紋は丸に井の字紋。大河ドラマ「新撰組!」では小林隆が演じる(画像)。画像は日野市の宝泉寺にて撮影。


萩城下松本村で長州藩士・杉百合之助の次男として生まれる。私塾松下村塾にて、木戸孝允、高杉晋作を初め久坂玄瑞、伊藤博文、山縣有朋、吉田稔麿、前原一誠等維新の指導者となる人材を育てる。安政の大獄により斬首刑に処される。享年30歳。


薩摩藩士三島通純の長男。三島家は代々藩の鼓指南役の家柄。山形県・福島県・栃木県の各県令、内務省土木局長、警視総監を歴任。家紋は、折敷に三文字(越智氏流の河野氏の代表紋で、三島神社の神紋)。画像は青山霊園にて撮影。


周防国玖珂郡に、医師野村信高右の四男として生まれる。本名は野村三千三。奇兵隊に入隊。山縣有朋の部下として戊辰戦争に参戦。兵部省御用商人となる。長州人脈を活かし、軍需品納入の商売は繁盛。家紋は「の」の字菱紋。姓名の野村からとったか。


薩摩出身。戊辰戦争では薩摩藩4番隊長として奮戦。維新後は明治政府の海軍整備に尽力した。明治天皇からの信任が篤く、皇孫(後の昭和天皇)の養育を任じられ、死後海軍大将に昇進した。家紋は四つ寄せ吉の字紋。画像は多磨霊園にて撮影。


高知城下の饅頭商人の息子として生まれる。後に近藤長次郎、上杉宋次郎、近藤昶次郎、梅花道人等と名乗る。坂本龍馬と共に海援隊の前身である亀山社中を設立。長州藩に小銃を売り渡している。花菱紋、五瓜に剣片喰紋、卍紋が墓所に掘られている。


初代・市左衛門は遠江国森村出身とされる。当人は6代目。匿名組合森村組(現・森村商事)を設立。後に日本陶器合名会社、東洋陶器株式会社(現・TOTO)も設立。家紋は下り藤と丸に木の字紋。青山霊園の墓所にて撮影。


広島藩出身。父は財務官僚・船越昌隆。読みは、ふなこしまもる。第1次長州征伐の際に長州藩と江戸幕府の和平交渉の仲介役に立つ。維新後は兵部大丞、千葉、石川県令、貴族院勅撰議員を歴任。家紋は丸に舟の字紋。青山霊園にて撮影。


長門国萩平安古に萩藩医・久坂良迪、富子の二男として生まれる。松下村塾に学び高杉晋作、吉田稔麿と共に村塾の三秀といわれた。安政の大獄によって松陰が刑死した後、尊攘運動の先頭に立つ。禁門の変で負傷し、自刃する。家紋は隅立角に三の字。


岡山県後月郡の医家に生まれる。読みは、うまごしきょうへい。三井物産に勤務した後、大日本麦酒(日本麦酒、朝日麦酒、札幌麦酒の合併会社)社長を務め日本のビール王とよばれた。また茶人・馬越化生としても知られた。家紋は折敷に縮み三の字紋。


土佐郷士・河野通好の長男。読みは、こうのとがま。土佐勤王党に加盟して武市瑞山や坂本龍馬らと交友関係を持つ。維新後は第1次松方内閣で内務大臣、司法大臣、農商務大臣、第2次伊藤内閣では文部大臣を歴任。家紋は揺り三の字紋。青山霊園にて。


鹿児島県出身。薩摩藩士柴山良庵の三男。日露戦争後、旅順口鎮守府の初代長官に抜擢された。事務方のエキスパートとして地道な功績を積み重ね、最終階級は海軍大将になる。家紋は山の丸字紋。画像は多磨霊園にて撮影。


上野国碓氷郡安中宿の味噌醤油醸造業者・湯浅治郎吉の長子。同郷の新島襄と親しく交わりキリスト教の洗礼を受ける。同志社や義弟・徳冨蘇峰の民友社を支援。同志社、日本組合基督教会の理事。家紋は丸に卍。画像は多磨霊園にて撮影。


信濃国出身。諏訪藩士・神尾平三郎の次男として生まれる。西南戦争、日清戦争、日露戦争に従軍。最終階級は陸軍大将。戦功により勲一等功一級男爵を受ける。家紋は抱き沢瀉に大の字紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


周防国都濃郡末武村出身。父は大庄屋・堀三右衛門で、徳山藩士・長岡南陽の養子。陸軍少将・歩兵第9旅団長、陸軍中将、衆議院議員を歴任。司馬遼太郎は『坂の上の雲』における評価は低い。家紋は丸に一文字に剣山の字紋。画像は青山霊園にて撮影。


愛知県犬山市出身。地主、松山庄七の三男。水戸藩浪士・八代逸平の養子となる。日露戦争勃発までの5年間、最前線を歴任。最終階級は海軍大将。NHKドラマ『坂の上の雲』では片岡鶴太郎が演じている。家紋は折敷に三の字紋。画像は青山霊園にて撮影。


加賀国金沢出身。本名は雄二郎。加賀藩家老本多家の儒医の子として生まれる。国粋主義の立場を主張する為、『日本人』を創刊する。主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』。家紋は「島形に児文字」。画像は青山霊園の墓所にて撮影。


京橋生まれ。歴史画の分野で活躍。森鴎外や夏目漱石等の作家とも親しく『吾輩は猫である』『若菜集』などの挿絵や題字を書いた。また、書は新宿中村屋の商品表記にも生きている。家紋は丸に原の角字紋。画像は多磨霊園にて撮影。


阿波国美馬郡郡里村出身。早稲田大学や東洋大学において中国文学史を講じる。主な著書に「中等教育東洋史」「東西交渉史の研究」がある。また、中国の大学に招かれ、その教育水準の向上にも尽力。家紋は丸に一の角字紋。画像は多磨霊園にて撮影。


大分県玖珠郡森町出身。村上水軍の末裔である来島通総の直系の子孫。アンデルセンの復権を訴えて日本のアンデルセンと呼ばれた。また童謡『夕やけ小やけ』の作詞者としても知られる。家紋は折敷に縮み三の字紋。画像は鶴見・総持寺にて撮影。


埼玉県足立郡大宮宿出身。北澤家は代々紀州徳川家の鷹羽本陣御鳥見役。新聞や雑誌を中心に多数の政治風刺漫画や風俗漫画を執筆。『楽天全集』は手塚治虫に影響を与えた。北沢家の家紋は丸に違い鷹羽紋であるが楽天の墓所には丸に卍紋がある。


宮城県石巻市出身。祖父・直道は旧相馬中村藩主相馬家の家令。父・直温は明治期の財界人。白樺派を代表する小説家の一人。代表作は『暗夜行路』『小僧の神様』『城の崎にて』『清兵衛と瓢箪』。家紋は丸に十文字紋。画像は青山霊園にて撮影。


鹿児島県薩摩川内市出身。「門司新報」「やまと新聞」記者を経て、東京毎日新聞社社長に就任。改造社を創業し、総合雑誌『改造』を創刊。志賀直哉の『暗夜行路』や林芙美子の『放浪記』等を掲載。家紋は山本文字紋。画像は青山霊園にて撮影。


神奈川県橘樹郡出身。大貫寅吉の次男。本名は雪之助。読みは、おおぬきしょうせん。岡本かの子の兄。東京府立第一中学時代、谷崎潤一郎と影響しあう。新詩社に入り小説「お須磨」などを発表。第2次「新思潮」の創刊に加わる。家紋は丸に大の字紋。


東京出身。本名は久敬。祖父・久元は土佐藩出身で維新後は宮内大臣・國學院大學学長などを務めた。築地小劇場を開設し翻訳劇を中心に新劇運動の拠点とする。終戦後は前進座や舞台芸術学院で演劇活動を再開。家紋は一の角字。染井霊園にて撮影。


東京・神田の生まれ。旗本の血を引く家系。正統派のテノール歌手だけでなく、浅草演芸界の花形として、多くの人に愛された。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章、日本レコード大賞特別賞を受賞している。家紋は三つ巴の字丸紋。画像は池上本門寺にて撮影。


東京市麹町に、落合直文門下の歌人・丸岡桂の長男として生まれる。「静かな影絵」「街の灯」で芸術選奨文部大臣賞を受賞。能の解説、編集も多く、原民喜をモデルとした『贋きりすと』などを書いた。家紋は岡文字丸紋。青山霊園の墓所にて撮影。


静岡県藤枝出身。本名は勝見次郎。『空気頭』で芸術選奨文部大臣賞、『愛国者たち』で平林たい子文学賞、『田紳有楽』で谷崎潤一郎賞、『悲しいだけ』で野間文芸賞を受賞。家紋画像は、文学者掃苔録図書館より。家紋は丸に正の字紋。


福岡県二日市町出身。加藤周一らと文学同人「マチネ・ポエティク」を結成。堀田善衛らとの共作「発光妖精とモスラ」は映画「モスラ」の原作となる。代表作「廃市」「風のかたみ」「草の花」。家紋は丸に福の字紋。画像は雑司ヶ谷霊園にて撮影。


大阪府難波生まれ。剣豪を扱った歴史・時代小説を始め数々の作品を発表。麻雀小説家としても名高い。第28回芥川賞を受賞。代表作は『喪神』『柳生武芸帳』『五味マージャン教室』『西方の音』等。建長寺の墓地には大一大吉大万紋が彫られている。


祖父・敬三は薬学者として知られる。系図を遡ると平安時代に医学書『医心方』を著した丹波康頼に辿り着く。心霊学と霊界に造詣が深い。代表出演作『二百三高地』『Gメン75』『大霊界』等。家紋は丸に木の字紋。多磨霊園の丹波家墓所にて撮影。


本名は荒川欣也。長男に六代目市川男女蔵、孫に七代目市川男寅がいる。『勧進帳』の常陸坊、『助六』の意休などが当り役。テレビでは大河ドラマ『義経』で金売り吉次役を演じる。家紋は三升に左字紋。画像は池上本門寺の三代目の墓所にて撮影。


東京都中央区に生まれる。本名は守田寿(もりた ひさし)。 長男に二代目坂東巳之助、長女に女優の守田菜生、また従妹に女優の池上季実子がいる。出演作品は『武士の一分』『母べえ』『功名が辻』など。家紋は三ツ大。


神奈川県茅ヶ崎市出身。妻は原由子。サザンオールスターズのリード・オフ・マン。代表曲は『いとしのエリー』『真夏の果実』『TSUNAMI』など多数。ポップスの神の称号を持つ。家紋は丸に桑の字。2010年の第61回紅白歌合戦の時の紋付より。


六本木の輸入雑貨商・亀甲屋の子として出生。旧姓は小幡。代表出演作はドラマ『西遊記』、映画『瀬戸内少年野球団』など。27歳の若さで突然亡くなり多くのファンからその死を惜しまれた。多磨霊園の小幡家の墓所(田中好子も埋葬)にて撮影。


岡山県岡山市中区出身。家紋は丸に上の角字紋。2006年12月に民主党候補として参議院選挙立候補。自民党前職で自民党参議院幹事長の片山虎之助を破り初当選を果たす。その後、不倫スキャンダルや自著出版騒動等を起こす。


奈良県奈良市出身。夫は同じく自民党衆議院議員の山本拓。安倍晋三内閣で内閣府特命担当大臣として入閣。沖縄及び北方対策、科学技術政策、イノベーション、少子化・男女共同参画、食品安全を担当。高市家は越智氏流で、家紋は、折敷に縮み三の字。


宮崎県日向市生まれ。TVドラマ「池袋ウエストゲートパーク」の尾崎京一役として有名。真矢みきと結婚。画像はその婚礼時の紋付より。波多野氏の一族岩間氏の兄弟の一人が西島姓に改姓(13世紀)した際、「岩間」の名前をこの「丸に岩の字」紋に残した。
三宅雪嶺、西島千博の紋に関しては、「家紋の真実」を主宰されている日本家紋研究会副会長の高澤等先生にご教授頂きました。
まさむね






















































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