輪違い紋 -多元的な世界の調和を表す哲学的な紋- 高師直、安田善次郎、中山晋平...
二個以上の輪が鎖のように繋がった紋。
長谷寺の寺紋が二つ輪違い。
二つの輪は、曼荼羅の金剛界、胎蔵界を表し、その二つの世界が調和していることを表すといわれている。
ようするに、一つの輪は一つの世界を表し、それらが絡み合うことによって、多元的な宇宙の調和を表している。
静岡県、栃木県、滋賀県、愛媛県、兵庫県、福岡県などで比較的多く見られる。
使用している有名人は以下。
輪違い紋と同系統の七宝紋の有名人にご興味のある方はコチラをご覧下さい。)
高師直 。生年不詳 - 1351年3月24日、 武将。
高氏は足利氏の執事職を代々務めた。本姓は高階氏。足利尊氏の側近として討幕戦争に参加。分捕切捨の法を初めて採用。尊氏が室町幕府を開くと絶大な勢力を振るう。『騎馬武者像』(左の画像)は近年の高師直の像とされる。家紋は寄り懸かり輪違い。
脇坂安治 。1554年 - 1626年9月26日、 武将・大名。
脇坂氏は近江東浅井郡脇坂野に居住し、その土地の名から脇坂と称した。豊臣秀吉の家臣として活躍。賤ヶ岳の七本槍の一人。淡路洲本藩主。のち伊予大洲藩初代藩主。龍野藩脇坂家初代。家紋は輪違い。画像は玉林寺の脇坂家墓所にて撮影。
安田善次郎 。1838年11月25日 - 1921年9月28日、 実業家。
富山県富山市出身。安田財閥の祖。東京大学の安田講堂や、日比谷公会堂は彼の寄贈によるものである。前衛芸術家オノ・ヨーコの曽祖父。元々、安田家の家紋は「丸に木瓜」であったが、後に「釜敷梅鉢紋」に変更。
池田成彬 。1867年8月15日 - 1950年10月9日、 財界人、政治家。
山形県米沢市に米沢藩士池田成章の長男として生まれる。三井財閥の実力者、中上川彦次郎の長女艶と結婚し、三井銀行筆頭常務となる。日本銀行総裁、大蔵大臣、商工大臣、枢密顧問官を歴任。家紋は、持ち合い三つ七宝紋。護国寺にて撮影。
鏑木清方 。1878年8月31日 - 1972年3月2日、 日本画家。
東京・神田に生まれた。本名は健一。 近代日本の美人画家として上村松園、伊東深水と並び称せられる。代表作は『三遊亭圓朝像』(重要文化財)、『朝涼』『築地明石町』など。家紋は七つ輪違い紋(釜敷七曜紋とも同型)。画像は谷中霊園にて撮影。
木子七郎 。1884年4月30日 - 1955年、 建築家。
京都府出身。宮内省内匠寮技師の木子清敬の四男。読みは、きごしちろう。萬翠荘、愛媛県庁舎、石崎汽船、関西日仏学館など数多くの建築などの設計を手がけた。家紋は二重団扇形に三つ輪違い紋。画像は青山霊園墓所にて撮影。
中山晋平 。1887年3月22日 - 1952年12月30日、 作曲家。
長野県下高井郡新野村出身。多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残す。代表童謡『シャボン玉』 『てるてる坊主』 『証城寺の狸囃子』 など。代表歌謡曲『東京音頭』 『波浮の港』 など。家紋は三つ輪違い紋。画像は多磨霊園にて撮影。
迫水久常 。1902年8月5日 - 1977年7月25日、 官僚、政治家。
東京府出身。大蔵省入省。二・二六事件の際、岡田首相を救済。また、鈴木貫太郎内閣時の内閣書記官長として終戦工作に携わる。政治家としては経企庁長官、郵政大臣等を歴任。家紋は丸に丸に花付十字紋と輪違いに水紋。多磨霊園の墓所にて撮影。
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