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2009年3月 8日 (日)

「銭ゲバ」最終回予想。(自殺者数11年連続3万人越えという社会状況の中で)

先日(3月5日)、昨年の自殺者数が発表された。



それによると、11年連続で3万人を上回わる事が確実となっとという。

一般的に旧ソ連の東欧諸国において自殺率が高い事が知られているが、それらの国を除けば、日本は世界一になってしまう。

日本は、元々、宗教的、文化的な面で自殺に対してのハードルが低いという事もあるのかもしれないが、今から10年前の1998年にいきなり3万人台になってから、減る傾向がない。

1998年とは、大企業の破綻などが相次ぎ、社会問題になった年である。

普通の人々が普通に暮らしていても必ずしも幸せになれないという意識が芽生えていた頃である。

おそらく、それ以降、国に対する信頼、地域共同体に対する信頼、そして家族に対する信頼、そういったあらゆる信頼感が低下してしまっているというのが背景にあるのだろう。



この事態に対して、啓蒙活動や地域の見回り等で自殺数を減らすことは可能かもしれないが、課題は、どうやって国民全体の暮らし安心感を上げるかという事である。

それほどのお金が無くても、老後、安心して暮らせるような社会システムの構築が第一だ。

個人的には、精神的な最終的なセキュリティネットとしての尊厳死制度というのも視野に入れることは必要かもしれないと思うが、社会的なコンセンサスを得るには数十年単位の時間が必要かと思われる。

       ★

さて、話は「銭ゲバ」である。

以前のエントリー(2009年「銭ゲバ」は現代的価値観を提示出来るだろうか)でも書いたが、昨年から今年にかけて、多くのドラマ(「流星の絆」「篤姫」「イノセントラブ」「ヴォイス初回」等)で、自殺を阻止するというテーマが頻繁に見られていた。

その流れを踏まえると、「銭ゲバ」の最終回、風太郎がダイナマイトを体に巻いたまま、爆発自殺で終わるという終わり方はまずあり得ないのではないだろうか。

前々回の放送回で、風太郎の妻・茜が首吊り自殺をしてしまい、それだけでも、最近のドラマにしては例外的だと思われるからだ。

逆に言えば、ここ数年来、徐々にではあるがドラマの展開が知らず知らずのうちに、不自由になりつつあるのかもしれない。

様々な制約(暗黙の了解)の中で、ハッピーエンドしか許されない時代というのも、それはそれで問題だと思う。



さて、最終回の展開だが、具体的にはどうなるのであろうか。

有り得るとしたら、例えばこんな展開だ。

導火線で火が近づく間に、母からの「死ぬな」という天の声が風太郎の頭をかすめる。>風太郎が大声を上げる。>緑が近づく>緑を助けようとする>自分だけ爆死 というパターンか...

自己犠牲による死というパターンは「ヴォイス」(瑛太主演)においても何度か見られる。そこまではあり得ない展開ではないと思う。



あるいは、母からの「死ぬな」という天の声が風太郎の頭をかすめる。>風太郎、自殺を止める>一方で、父親、あるいは家政婦がタレコミ>その場に警察登場>風太郎逮捕 というパターンも考えられる。



いずれにしても、風太郎は自分の犯した殺人という罪を、自殺以外の方法で報いる展開でしか、この物語を収束させる方向はありえないのではないだろうか。

例えば、爆発するが意識を失っただけで死なず、全く別の人間として人生を始めるというような事で済むとは思えないのである。



しかし、残されたのは、伊豆屋問題だ。



「実は、風太郎は2000万円を彼等の元に置いておいた」というパターンになるのだろうか。

「自殺を取り止めた後、改心して2000万円を与える」というパターンになるのだろうか。

いずれにしても、風太郎が伊豆屋を助けるというのにはかわりないような気がする。



あるいは、爆死した風太郎の換わりに放蕩息子・真一が三國造船の社長となって借金問題解決というのは...これはちょっと、あり得ないか。



ご存知通り、「銭ゲバ」の脚本は、岡田恵和である。

個人的な感想として「ちゅらさん」の印象が強いため、どうしても「銭ゲバ」という素材と岡田恵和という組み合わせには違和感があった、と同時に興味があってここまで見続けてしまった。

「明」の脚本家が「暗」の素材をどのように料理するのかという興味だ。

ちなみに、自分としては、ドラマが始まる頃、そんな「銭ゲバ」との対比して「暗」の脚本家(野島伸司)が、上流階級のスワッピングという、どちらかと言えば「明」のテーマを扱う「ラブシャッフル」を見たら面白いのでは?と思っていたのであるが、こちらの方は残念ながら早々と挫折してしまった。

      ◆

僕は毎回ドラマの最終回を推理するのだが、残念ながら、一度として完璧に当たったことがない。

見終わってみると、そんな展開はズルい思うことがしばしばある。

ズルい展開というのは、伏線だと見せかけていたセリフ、場面がそのまま放置されて、全く新しい事実が出てくるよな展開のことだ。



テレビドラマが最近つまらなくなったと嘆く声が多いが、先ほど述べた少し触れたように、様々な制約によって、ストーリー展開の選択肢がかなり狭められているという事もあるのかもしれない。

しかし、テレビドラマのようなダラダラ見ればいいものを過剰に真剣に見るという見方もアリなのではないだろうかと思う。

だから、今回も最終回を予想してみた。



自信はないのであるが。



まさむね

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