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2009年3月15日 (日)

今日も生き続けている「銭ゲバのリアリティ」

「銭ゲバ」最終回は、ある意味、意外な展開だった。



自殺という結末だけは避けると思っていた(「銭ゲバ」最終回予想)のだが、全く裏をかかれたからだ。

以前も書いたのだが、僕は、昨今のテレビドラマの最低限の倫理観として「自殺の禁止」という線があると感じていたのだが、その線があっさりと越えられたという事が意外に感じられたのだ。



しかし、結果としては、それでよかったのではないかとも思う。

ドラマが日常社会の倫理(空気)にしばられて自由な表現が自主規制されるというのは、されでそれで問題だからだ。

言うまでもなく、ドラマはあくまでドラマ、フィクションである。

出来るだけ「創造=想像の可能性の枠」は広いほど良いに違いないからだ。

そして、その風太郎(松山ケンイチ)の自殺であるが、人生に絶望しての自死というよりも、今まで自分が殺してしまった人々に対する「私刑」の意味合いの強い死であったことも確かだ。

製作者側に、倫理的に純粋な自殺ではなく、贖罪としての死ならば、視聴者の許容範囲ではないか、という読みがあったのかもしれない。



さらに、一方で風太郎の「銭」のおかげで、荻野(宮川大輔)の妻の命は助かったし、定食屋・伊豆屋の面々は借金地獄から抜け出せたのだ。

彼等の最終回での安堵の表情は、このドラマの救いになっていたことは確かである。



さて、ここで最終回の流れを今一度、追ってみよう。

子供の頃、不幸のどん底で金持ちになって幸せになる事を誓った小屋で、ダイナマイト自殺をはかる風太郎の脳裏に「幸せになった」風太郎の物語が流れる。

それは、本当の幸せとは何かということを考えさせる情景だ。



人はあらゆる可能性を持って人生という道を歩く。

その人生の道は、実は、幸せの世界へも、不幸への世界にも繋がっているということなのだ。

しかし、風太郎は、結局、不幸の道を歩いてしまったということなのである。



そして、最後に死の直前で風太郎はつぶやく。

最後まで風太郎は風太郎として意地を張り続けたのだ。



 わかったよ。わかったって。



 俺はもう死ぬよ。

 それが望みだろう、お前らの。

 消えてやるさ。

 でもな、俺は間違っていたとは思わない。

 これっぽっちも思わない。

 確かに俺は人殺し、犯罪者だ。

 地獄に落ちてやるよ。

 ただな、俺は思うズラ。

 この腐った世界で、平気な顔してヘラヘラ生きてる奴の方が、よっぽど狂ってるズラ。

 いいか。

 この世界に生きている奴はみんな銭ゲバだ。

 お前らは気付かんで、いや、気付かんふりして、飼いならされた豚みたいに生きてるだけの話ズラ。



 そいでよきゃ、どうぞお幸せに。

 ただ、俺は死んでも、俺みたいな奴は次々生れてくるズラ。

 そこらじゅう、歩いてんだぜ。銭ゲバは。



 じゃあね。




そして、風太郎はダイナマイトもろとも吹っ飛ぶ。

近くで見守っていた緑(ミムラ)の足元に1円玉が転がり落ちる。

その1円玉は、第1話の冒頭で、走ってくるトラックの前で、風太郎が拾った1円玉だ。

(左絵は、その時風太郎が拾った1円玉)

銭ゲバの象徴としての1円玉である。



奇しくも、その1円玉の製造年は昭和四十五年。

(第1話で風太郎が拾った1円玉も同製造年だった)

この原作の「銭ゲバ」(ジョージ秋山)が少年サンデーに連載された年の1円玉なのである。

大阪万博が開催されたこの年、高度経済成長の絶頂期に生れた「銭ゲバのリアリティ」は、実はあれから約40年後の今日までも生き続けているということなのか。

「人類の進歩と調和」を謳いあげた万博の夢は、何だったのだろうか。ルポライターの鎌田慧が『自動車絶望工場-ある季節工の手記-』で表した70年代の労働者の最低な生活と現代の派遣労働者、何がどう進歩したのであろうか。



この1円玉の製造年はそのような現実を表しているように思われた。



まさむね



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