『ザ・クイズショウ』に見るテレビ業界の欲求不満と嫉妬
日本テレビの土曜日の21:00~『ザ・クイズショウ』は、予想以上の面白さだ。
このドラマ内でのクイズ番組は、MC(桜井翔)と回答者の一対一の対戦形式の生放送のクイズ番組である。
そして、7問全問正解したときの賞品は回答者の”夢”である。
第二話では、女子中高生の間ではカリスマケータイ小説家のミカ。
彼女は最初、自身の新作のテレビドラマ化を賞品の夢としてクイズに挑むのであった。
しかし、クイズを進めていくにしたがって、彼女は精神的に追い詰められてゆく。
クイズの問題があまりにもリアルに彼女の過去のトラウマをえぐったものだったからだ。
そして、遂に真実が明らかになる。
実は、本当はその小説は彼女が書いたものではなかったのである。
しかも、ミカの真実の心には、それを本当だと信じながら亡くなってしまった母への懺悔の気持ちにあふれていたのだ。
ミカは、クイズの回答を通して偽りの自分と決別し、本当の自分に向き合うようになる。
そして、最終的に彼女は、自分自身が小説を書くという夢をクイズに賭けるのであった。
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現実のテレビ業界の、出演者たちの生ぬるいやりとりに辟易している視聴者。
最近の視聴率の低下にはそういった、バラエティ番組内における芸能人たちの馴れ合いが、視聴者に見透かされているという背景があると思われる。
たとえば、テレビの中では馬鹿にされてもいい人は決まっているし、ほめなければならないモノも決められている。そこには言論の自由とは程遠い、暗黙の了解が満ち溢れているのだ。
そして、おそらく、言いたい事を放言しまくるネットを横目で嫉妬しながら、硬直した現状に対して一番、ヤキモキしているの番組制作現場のスタッフであることは想像に難くない。
この『クイズショウ』は、そんな不自由なスタッフ達がドラマというフィクションの場で、自己実現するドラマなのである。
ドラマの中で、クイズショーのMCは、本気で回答者を挑発し、怒らせ、仮面をはがそうとするのだ。
それは、現実のテレビでは出来ないガチンコのやりとりである。
手足を縛られた不自由なテレビ業界が、「本当に俺たちがやりたいのはこういった番組だよ」というメッセージをこのドラマに込めていると言ったら深読みしすぎだろうか。
象徴的なのは、ZEROでは借りてきた猫のようにカチンカチンの桜井翔が、このドラマでは水を得た魚のような溌剌さを見せていることだ。
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また、今回の第二話は、上記のようなテレビ製作現場の本音が漏れていると同時に、最大のライバルであるインターネットへの皮肉が込められている。
ケータイ小説をミカに成り済まして書いていたのはいわゆるIT長者っぽい社長だったのである。
そして、彼がミカの名前を使って書いていた代物は、人間に対する真摯な姿勢も、感動もなく、ただ、レイプとドラッグを刺激的に描いて、良識に対して反抗しているだけの俗物だったとのことである。
実際に書かれているケータイ小説のいわゆる世間的な評価もおそらくそんなところだろう。
この『クイズショウ』では、そうしたケータイ小説(のイメージ)を痛烈に批判する。
しかも、ミカという現実でも「恋空」の著者と同じ発音の名前を使ってのストレートな批判である。
これは逆に例えて言えば、"蓑さん"とでもいう名前のクイズ司会者のインチキを暴くようなケータイ小説が出される、そんな類い(タグイ)のストレートさである。
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僕が『クイズショウ』を面白いと言ったのは、現状のテレビ製作現場への欲求不満と、IT業界への反感という本来ならば、見世物にすべきではない感情を見事ドラマとして昇華しているところが面白い、という意味である。
まさむね
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