「Dizzy Mizz Lizzy」 ジョン=レノンの孤独の叫びを聴け
最近、アルバム『HELP!』をよく聴いている。
人は変わろうとする時に、直線的に変われるわけではない。迷いながら、現実のしがらみに絡めとられながら、昔の自分の愛着からも離れられず、プライドも捨てきれず、ジグザグに変わっていくものである。
それは、僕らだって、ビートルズだってそうだ。
『HELP!』を聴くということは、ビートルズのそんな人間的な面に触れるということだと思う。
もともとこの『HELP!』は、映画『4人はアイドル』のサントラ盤として企画された。A面はまさに映画の中の曲で埋められている。しかし、B面はエアポケットのような空いた場所だった。そこに入ってきたのが、自然に変わりつつあるジョージとポールの才能の萌芽、そして、一番、変わりたいという想いが強かったジョンのやるせない叫びである。
これが僕が『HELP!』のB面に持っているイメージだ。
ジョンはこの面で2曲を提供している。1曲目はジョンが後に嫌悪したという「It’s Only Love」だ。嫌悪の理由は、歌詞が他愛もなさすぎたというのが彼の口から発せられた理由である。確かに、ジョンレノンミュージアムで閲覧できる「It’s Only Love」の作詞草稿には、「...ight」っていう語尾の単語が沢山書かれていて、歌詞を内容というよりも、語呂で描こうとしていたっていう形跡が見える。
しかし、僕はこの歌詞に対してジョンが嫌悪しているのには別の理由があると見ている。
それはこの箇所だ。
Is it right that you and I should fight every night?
毎日喧嘩するなんてこんなことでいいんだろうか。
この部分の[fight every night]ってのが、ジョンにとってあまりにもリアルな感じがするのが嫌悪の理由ではないのだろうか。
実は、この曲以外、ジョンが「嫌い」と公言していた曲がいくつかある。それらを並べてみると、歌詞の中で醜い嫉妬心、あるいは女性に対する暴力が表現されているという点で一致しているように思うのだ。
例えば、『A hard day's night』に収録されている「You Can’t Do That」、『Rubber Soul』に収録されている「浮気娘」などである。
-You Can’t Do That-
If I catch you talking to that boy again,I’m gonna let you down
今度、お前があいつと口をきいているを見つけたらコテンパンにしてやるからな
-浮気娘-
Catch you with another man.That’s the end’a little girl
浮気現場を抑えたらお前を生かしちゃおかないぜ
ここには、まるで中学生のように幼稚な暴力性がある。おそらくジョンはこういった自分の中にあるどうしようもない部分に対して、人一倍嫌悪感を抱いていた。しかし、それからなかなか離れられなかった。しかし、このあたりの苦悩が歌に現れてしまうのがジョンの魅力でもあるのだ。
★
『HELP!』B面に話を戻そう。上記の「It’s Only Love」の後、ジョージの曲(「You Like Me Too Much」)が来た後に、ポールの流した感じの曲(「Tell Me What You See」)が来て、そして、ポールの天才的な2曲に続くのである。(ここで気づいたんだけど、もしかしたら、A面、B面って言ってもCD世代、ましてやダウンロード世代の人にはあまりピンと来ないかもしれないんだよね。まぁ、ここまで来たので強引に話を進めさせてもらうが、失礼!)
まさしく神がポールに降りたかのような名曲の「夢の人」「Yesterday」。
特に「Yesterday」は、ポールが寝て起きた時に出来ていたという、これ以上ないような神業である。
僕は、この話を聞いたジョンの神への微妙な不審、あるいは嫉妬が、あの「ビートルズはキリストよりも有名」発言の遠い伏線ではないかと勝手に考えている。
★
そしてその稀代の名曲「Yesterday」が終わると、アルバム最後の曲「Dizzy Mizz Lizzy」が始まる。
中山康樹氏は、「これがビートルズだ」でこう述べている。
つまりビートルズは≪ツイスト・アンド・シャウト≫や≪マネー≫から遠くへきたということだ。わずか二年だが、ビートルズの”二年”は一般の10年、20年、いやもっと長い年月に相当する。もはや一九六五年のジョンに、ビートルズに≪ディジー・ミス・リジー≫を歌う動機も、歌わなければならない音楽的必然性もない。もはや『キャバーン・クラブ』の時代には戻れない、戻ることもない。この曲に漂う静けさや、空虚な空気は、時計の針をむりやり巻き戻そうとしたことによる。
確かに、この曲には、ジョンの孤独の叫びようなものが感じられる。
しかし、人は時として、戻れない「あの頃」をまだ現実に存在しているものだと思い続けたいものなのである。
ジョンはこのアルバムの表題曲「HELP」で「俺が若い頃、誰の助けも必要としなかった」と歌う。
そして「あの頃の独立心はどこかへ消えちゃった」と続ける。
勿論、中山氏の言うように時計の針はもう捲き戻せない。
しかし、そんなジョンの心の葛藤をこの「Dizzy Mizz Lizzy」が音として見事に表現しているとすれば、それはそれでまたひとつのビートルズマジックなのかもしれないと思う。そういった意味で、僕は、この頃のジョンが置かれた状況にシンパシィを感じるとき、この曲にいとおしさすら感じざるを得ない。僕が最近『HELP!』が気になるのは「Dizzy Mizz Lizzy」の痛さのおかげなのである。
★
さて、この『HELP!』発売の4年後の1969年、ジョンはビートルズ脱退を決意して、ヨーコと一緒に「Live Peace in Toronto」のステージに立つ。そして、この「Dizzy Mizz Lizzy」を演奏する。
その演奏は、僕には『HELP!』時の「Dizzy Mizz Lizzy」の屈辱的な空虚さをはらすための復讐のようにも聴こえる。
そして、勿論、この時の「Dizzy Mizz Lizzy」も好きだ。
同じ曲なのに、その時々の状況で表現し分けるジョン=レノンは、やはり、正直者、あるいは天才である。
まさむね
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