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2009年5月17日 (日)

『ザ・クイズショウ』の欠点はそのままテレビの欠点だ

日本テレビの土曜ドラマ『ザ・クイズショウ』は、欠点はあるが、意欲的な作品であるとずっと思ってきた。

今回は敢えて、その欠点に関して語ってみたいと思う。

一言で言えば、その欠点とはシナリオがあまりにも論理的に作ろうとしていて、登場人物達の感情の動きが不自然になること、そして、ドラマの監督の意図を、俳優達が表現しきれていない点だと思う。



例えば、今日の回は、石黒賢扮する天才的な外科医・友部公一郎が自分の出世のために、急患の財務大臣の手術を優先して、職場の大学教授のボスを見殺しにするという過去の出来事の真相を、クイズに答えさせながら暴いていくというストーリーであった。



前半から、この友部は人間の命は誰もが平等だと言い過ぎると思ったら、それは伏線で、結局、彼は自分の出世のために、助かる可能性のあった命を見捨てたという彼の過去のトラウマを心理的に隠蔽するための虚偽意識であったのだ。

勿論、人はそのように過去のトラウマを打ち消すために、過剰なイデオロギーで自身を防衛するということはあるのだろうが、このドラマでは、それがあまりにも露骨過ぎて、不自然になってしまっているのだ。



また、その外科医は、クイズの賞品としての自分の夢に「誰もが平等に最高の医療を受けることが出来る病院の設立」を賭けるのであるが、ショウのMCの神山(櫻井翔)の挑発にすぐに乗って、テレビの前では普通は隠そうとする感情的醜態をすぐに露見させてしまい、しかし、またすぐに平静に戻るというのを繰り返す。

おそらく、シナリオ的にはそれは「アリ」なのだろうが、その心の動き、顔の表情があまりにロボット的、全くありえないと思う。ロジカルにストーリーを進めようとするために、人間のリアルな感情の動きを強引に描きすぎているため、演技に相当無理を生じさせてしまっているように思うのである。

       ★

しかし、上記のような欠点があろうとも『ザ・クイズショウ』が面白いのは、実は、その欠点がそのままテレビというメディアの欠点でもあるということ、そしておそらく、そのことを熟知したスタッフが意図的にその欠点を強調し、自己批判しているという構造が面白いのである。

テレビというメディアに写るタレントは私的にどんな感情があったとしても、可笑しそうな場面では手を叩いて笑い、悲しそうな場面では涙を拭わなければならない。その感情の不自然さを前提とし、カリカチュアライズさせたこの『ザ・クイズショウ』。

己の欠点をそのままで見せ所としているという点で意欲的だ。



願わくは、ストーリーがさらに感情を無視して進み、破綻まで行き着くところまで見たいが、それは贅沢というものだろうか。



まさむね



参考エントリー

『ザ・クイズショウ』を見てしまう自分はまだ自分探し病?

『ザ・クイズショウ』に見るテレビ業界の欲求不満と嫉妬

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