村上春樹とビートルズの「ノルウェイの森」における共通点
村上春樹の「ノルウェイの森」が来年秋公開で映画化されるという。
メガホンをとるのは「青いパパイヤの香り」のトラン・アン・ユン。ベトナム系フランス人だ。
主役のワタナベには松山ケンイチ(画像左)、恋人の直子には菊池凛子(画像下)と配役も決まり、来年の3月にクランクイン。フジテレビがバックについていることもあるが、おそらく、封切り時には「ノルウェイの森」ブームが来ることが今から予想されている。
僕は、この小説、発売当時に、紅色と深緑の上下巻2冊の単行本を買って読んだ。
おそらく、恋愛小説に感動できるかどうかは、その小説が読者の実人生に、いかにシンクロしてくるかにかかっているが、当時の僕はそういう意味で非常に感銘を受けた記憶がある。中学生の時に、背伸びをしてゲーテの「若きウェルテルの悩み」を読んだはいいが、全く理解できなかったのに比べると、少しは成長したかなと思ったものである。つまらない話ではあるが、ちょうど、新宿の「DUG」という喫茶店でこの本を読んでいたら、この小説の中にも「DUG」が出てきた。そういう、ちょっとした偶然が、この小説のリアリティを増してくれたのだ。まぁ、だから何なのだと言われれば、それまでの体験なのではあるが。
そして、先日、再びこの本を手にする機会が来た。
映画化のニュースもあり、先日、衝動的に本屋で文庫本を購入、一気に読んだのであった。
読書感想はまたの機会に書くとしてここでは、この小説の「ノルウェイの森」と、ビートルズの楽曲の「ノルウェイの森」とのイメージの関連性・連続性について考えてみたいと思う。
村上春樹自身、この小説のタイトルとして、最初は「雨の中の庭」というのを考えていたそうだ。しかし、奥さんに読ませて意見を聞いたところ、「ノルウェイの森」でいいんじゃない?ということで、このタイトルに決まったという。(wikiより)
まぁ、どちらかといえば御座なりな感じで決まったのである。
しかし、結論から言えば、この小説はビートルズの名曲「ノルウェイの森」のイメージ、そしてテーマとかなり重なっているように感じられる。結果としては、誠にいいタイトルにしたものだ、と僕は思う。
まず、ビートルズの「ノルウェイの森」の歌詞を見てみよう。
この歌詞に関しては、いろいろな解釈があるのは確かだ(「RUBBER SOUL」参照)が、ここでは、ほぼ、上記の歌詞の解釈を採用したいと思う。
あるとき女を引っかけた
それともこっちがひっかけられたのか
彼女は僕を部屋に招いた
いいじゃないかノルウェイの森
泊まっていってと彼女は言い
好きなところにすわるように僕を促した
そこで僕は部屋を見まわし
椅子がひとつもないのに気づいた
敷物の上に腰をおろし
ワインを飲みながら時間をつぶすうち
すっかり話こんで2時になった
すると彼女「もう寝なくちゃ」
朝から仕事があると言って
彼女はおかしそうに笑った
こっちは暇だと言ってみても始まらず
僕はしかたなく風呂で寝ることにした
翌朝 目が覚めると僕ひとり
かわいい小鳥は飛んでいってしまった
僕は暖炉に火を入れた
いいじゃないか ノルウェイの森
「COMLETE LYRICS OF THE BEATLES」内田久美子=訳
例えば、「Norwegian Wood」はノルウェイ製の家具、ではなく素直にノルウェイの森と考えたいのだ。
実は、村上春樹も、小説の中でこの曲を、上記の歌詞のイメージに沿った形で効果的に使用しているのである。
この小説の中には、ビートルズの「ノルウェイの森」が出てくる箇所が何箇所かあるが、それはどれも似たシチュエーションなのだ。
そして、それは、この小説にとって、重要な「絵」なのである。
まずは、小説の冒頭、主人公のワタナベは旅客機でドイツの空港に着陸する。そして、着陸とともに機内に流れるのが、この「ノルウェイの森」なのである。
飛行機が着地を完了すると禁煙のサインが消え、天井のスピーカーから小さな音でBGMが流れ始めた。それはどこかのオーケストラが甘く演奏するビートルズの「ノルウェイの森」だった。そしてそのメロディーはいつものように僕を混乱させた。いや、いつもとは比べものにならないくらい激しく僕を混乱させ揺り動かした。
物語の冒頭部分で、過去を回想させるための装置として、「失われた時を求めて」(マルセル・プルースト)のプチットマドレーヌよろしく、「ノルウェイの森」が流れる。
この物語は主人公の記憶の中の物語であることが暗示されるのである。そして、主人公・ワタナベの青春の思い出の、その重要な部分にはこの「ノルウェイの森」が、そしてビートルズのその他多くの楽曲が登場することとなるのだ。
まずは、最初の箇所、文庫で言えば上巻の81ページあたりだ。
高校時代の親友・キズキの恋人だった直子と2人、場所は彼女のアパートである。キズキは既に自死しており、ワタナベは上京して大学に通っている。そして、彼女と偶然に再会するのだ。
食事が終わると二人で食器を片づけ、床に座って音楽を聴きながらワインの残りを飲んだ。僕が一杯飲むあいだに彼女は二杯飲んだ。直子はその日、珍しくよくしゃべった。(中略)僕はレコードをかけ、それが終わると針を上げて次のレコードをかけた。ひととおり全部かけてしまうと、また最初のレコードをかけた。レコードは全部で六枚くらいしかなく、サイクルの最初は「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」で、最後はビル・エバンスの「ワルツ・フォー・デビー」だった。
はじめて行った女性の部屋で、二人っきり、床に座りながらワインを飲む。そのシチュエーションがビートルズの「ノルウェイの森」と全く、同じなのである。
そして次は、その直子が精神治療施設「阿美寮」に入寮し、そこを訪れたワタナベが、そこでの直子の同僚レイコさんを交えての3人でのシーン。文庫本では上巻の222ページあたりである。
レイコさんは冷蔵庫から白ワインを出してコルク抜きで栓をあけ、グラスを三つ持ってきた。まるで裏の庭で作ったといったようなさっぱりとした味わいのおいしいワインだった。(~ここでレイコさんはギターを取り出して、直子が曲をリクエストする。~)「リクエストタイム」とレイコさんは目を細めて僕に言った。「直子が来てから私は来る日もくる日もビートルズのものばかり弾かされているのよ。まるで哀れな音楽奴隷のように」彼女はそう言いながら「ミシェル」をとても上手く弾いた。
「良い曲ね。私、これ大好きよ」とレイコさんは言ってワインをひとくち飲み、煙草を吸った。「まるで広い草原に雨がやさしく降っているような曲」
それから彼女は「ノーホエア・マン」を弾き、「ジュリア」を弾いた。時々ギターを弾きながら目を閉じて首を振った。そしてまたワインを飲み、煙草を吸った。
「『ノルウェイの森』を弾いて」と直子が言った。(中略)
「この曲を聴くと私時々すごく哀しくなることがあるの。どうしてだかはわからないけど、自分が深い森の中で迷っているような気になるの」
また、下巻の35ページにもこの3人のシーンが出てくる。場所は前回と同じ、直子が入寮している「阿美寮」である。
葡萄を食べ終わるとレイコさんは例によって煙草に火をつけ、ベッドの下からギターを出して弾いた。「デザフィナード」と「イパルマの娘」を弾き、それからバカラックの曲やレノン=マッカートニーの曲を弾いた。僕とレイコさんの二人はまたワインを飲み、ワインがなくなると水筒に残っていたブランディーをわけあって飲んだ。
さらに、次に出てくるのは、直子とレイコさんの二人のシーンだ。正確に言えば、直子は既に自死しており、レイコさんが直子と自分との思い出をワタナベに語る、その話の中のシーンである。下巻の271ページである。
それから私たちはいつものように食堂で夕ご飯を食べて、お風呂入って、それからとっておきの上等のワインをあけて二人で飲んで、私がギターを弾いたの。例によってビートルズ。『ノルウェイの森』とか『ミッシェル』とか、あの子の好きなやつ。そして私たちけっこう気持ちよくなって電気消して、適当に服脱いで、ベッドに寝転んでたの。
そして最後は、、下巻の283ページ。勿論、そこには既に直子はいない。レイコさんとワタナベがワタナベの家で二人になっているのだ。
レイコさんはビートルズに移り、「ノルウェイの森」を弾き、「イエスタディ」を弾き、「ミシェル」を弾き、「サムシング」を弾き、「ヒア・カムズ・ザ・サン」を唄いながら弾き、「フール・オン・ザ・ヒル」を弾いた。僕はマッチ棒を七本並べた。
「七曲」とレイコさんは言ってワインをすすり、煙草をふかした。「この人たちはたしかに人生の哀しみとか優しさとかいうのをよく知っているわね」(中略)レイコさんは四十九曲目に「エリナ・リグビー」を弾き、五十曲めにもう一度「ノルウェイの森」を弾いた。
お気づきの通り、ビートルズの曲あるいは特に「ノルウェイの森」は、男と女、あるいは女同士が夜、ワインを飲みながら、まったりとした時間を過ごしながら親密になっていくシチュエーションで登場するのである。そして、その世界は、楽しいながらも、どこか陰鬱で濃厚な空気に包まれている。それはビートルズの「ノルウェイの森」の歌詞の世界と同じなのである。
そういえば、小説「ノルウェイの森」の上下巻の紅色と深緑は、まさに、ワインと森のイメージではないのだろうか。そして面白いことにそれは、「RUBBER SOUL」のジャケットの、背景の森の深緑とサイケなロゴのオレンジの色合いにも微妙に重なる。勿論、ワインの色は鮮血の色でもあるのだ。
ちなみに、ここで、イメージを横滑りさせていくならば、ここでレイコさんがギターで弾く曲は、直子への鎮魂の年忌の回数とも重なる。三回忌が「ミッシェル」、七回忌が「フール・オン・ザ・ヒル」...そして五十回忌が「ノルウェイの森」なのだ。
さらに重要なのは、あまりに哀しいことに、両方(曲も小説も)とも、男と女(そしてある時は女と女)は決定的にすれ違う運命にあるということである。曲の中では男と女は、セックスをしたようなしないような、しかし、朝起きてみると彼女はいなくなっている。
内田久美子訳ではわかりにくいのだが、ビートルズの原文では他の部分は全て過去形なのに、この彼女がいなくなっているところだけが「This bird has flown」と、現在完了形である。すなわち、それ以来、永遠に彼女とは別れたということだ。深読みするならば、彼女は既にこの世にいないとも取れるのだ。
しかし、それでも一人、世界に残された男は普通の日常を生き続けなければならない。そこがどこかわからないような世界で...
「ノルウェイの森」が収録されているアルバム「RUBBER SOUL」には、もう一つのジョンの名曲「Nowhere Man」が収録されているが、女が去ってしまった後の男は、まさしく「Nowhere Man」=「自分の居場所がわからない男」として、しかし同時に、「Now here man」=「今ここに居る男」として、とり残されるのだ。
実は、僕はこの「ノルウェイの森」のイメージは北欧なのに、曲のイントロと間奏で、インドの楽器シタールが鳴っていることに対する違和感が全く無いことに対して、ずーっと疑問を感じていたのだが、それがようやく解決したような気がする。おそらく、それはこの曲の「世界の何処にいるのかわからない感」を、それこそピッタリと表現していたのである。
一方、小説の中では、男は女(直子)からの愛が無かったことを悟らされるのである。しかし、この、よくわからない世界の、よくわからない場所で、不完全な存在の男は立ちすくみながらも、それでも明日に向かって生きていかなければならない。というのが小説「ノルウェイの森」の主題だと思う。そして、この小説の最後はこう締められている。
僕は受話器を持ったまま顔を上げ、電話ボックスのまわりをぐるりと見まわしてみた。僕は今どこにいるのだ?でもそこがどこなのか僕にはわからなかった。見当もつかなかった。いったいここはどこなんだ?僕の目にうつるのはいずこへともなく歩きすぎていく無数の人々の姿だけだった。僕はどこでもない場所の真ん中から緑(女性の名前)を呼びつづけていた。「ノルウェイの森」のような鬱蒼とした世界のイメージを前にしてたたずむ無力な「ひとりぼっちのあいつ」。森は、時に女性そのものをあらわし、それは同時にこの世界をもあらわす。
これは「RUBBER SOUL」の主題でもあるが、同時に村上春樹の小説の主題にも重なるのである。
そして、それは、とりもなおさず現代に生きる僕らの孤独のイメージでもあるのだ。
しかし、さらに比喩を進めるのならば、ワタナベがその中でも「緑=森=女性」を求めつづけるのと同じように、僕らも「森=世界=人々とのつながり」を求め、世界に挑んでいく事でしか状況は拓けないのかもしれない。
その森にぽっかりとあいた底知れない暗い穴に落ちるかもしれないが、それでも、歩きながら。
まさむね
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