ベトナミーD・トランという男とのちょっとした思い出
「ノルウェイの森」でメガホンをとるトラン・アン・ユン監督は、1962年生まれの46歳。
12歳のときにベトナム戦争を逃れるため、両親と共にフランスに移住したという(wikiより)。
ベトナム生まれというと僕にもある友人がいた。
彼の名前はD・トラン。20年も前の話だが、僕がカナダのブリティッシュコロンビアに住んでいた頃、最も仲が良かった友達だ。
そのDはベトナム戦争で両親を失い、小学生の頃、一人、カナダに養子に来たという。
おそらく、彼はもともと頭がよく、学校での成績は良かったのだろう。そして、彼はカナダで頑張ったのだろう。将来を有望視されたSEとして、僕と一緒の職場で働いていた。
Dは、いつも僕に優しかった。英語の出来ない僕をフォローし、何かと面倒を見てくれた。反面、どことなくシニカルで、みんなが楽しそうにしているホームパーティでは、いつも部屋の隅で一人でいるようなところもあった。
彼は、僕にグーフィーというあだ名をつけて、面白がっては、僕のことを「Goofy-Sami(グーフィーサミー)」と呼んだ。
グーフィーというのは、ディズニーアニメのキャラクターで、頭の悪そうな犬である。wikiではこう書かれている。
平和を好むのんびりとした性格が特徴。しかし、ミスも多いため周りに迷惑をかけることが多々ある。また、早口を聞き取れないことがあり、時々おかしな返事を返すことも。僕達は職場でソフトボールのチームを作っていて、よく他のチームと試合をした。ある時、凄いチャンスで僕に打順がまわってきた。僕はいささか緊張気味でバッターボックスに入った。ベンチからDが叫んだ。
Goofy-Sami ,Take your time!
僕は、「タイムを取れ」だと思って、審判に「タイム!」と言って、Dのところに走っていった。
そうしたらDは大笑いをして、こっちへ来なくていい、バッターボックスへ戻れと言った。
僕はわけがわからなかった。後で辞書で調べたら、「take one's time」というのは、マイペースで行け、とか、リラックスしろとかいう意味であることがわかった。
そんなつまらない失敗を繰り返しながら、Dと僕は職場でも、プライベートでも沢山の時間を過ごした。
たまに、彼がベトナムで生まれた事、小学生の時、ひとり飛行機に乗ってカナダに来たとき、凄く寂しかった事、その飛行機から富士山が見えたとき、いつか日本に行ってみたいと思ったことなんかを話してくれた。
ある時、僕はこんな失敗をした。僕は何故かそのカナダに相原コージの「コージ苑」という漫画を持っていっていたのだが、その中に、日本の若者がつまらないことで悩んでいる一方で、世界では悲惨な子供達が飢えているという4コマ漫画があった。今、手元にその本が無いので正確には違うかもしれないが、そんなような内容だったと思う。
たまたま、Dが僕のアパートメントに遊びに来ていたので、その漫画を何気なく見せたのだ。そしたら彼は真剣な顔をして、僕らはあまりにも幸福だと言った。そして、この漫画のどこが面白いんだ?と言った。
僕は何も答えることができなかった。
Dは確かに真面目だった。何事にも真剣だし、負けず嫌いだった。
ある日、僕は彼のアパートメントに遊びに行った。カナダの住宅事情は良く、彼は一人暮らしだけど、2LDKの小奇麗な部屋に住んでいた。
しかし、僕はあることに気づいた。彼の家は、すごく綺麗に片付いていたが、ベッドが無かったのだ。でも、僕は黙っていた。何か、聞いてはいけないような気がしたからだ。
それから何回か、彼のアパートメントに遊びに行ったが、ある時、僕は玄関の脇にある、靴やスキーを置いたり、コートをかけるための備え付けのクロゼットが開いているのを見てしまった。
そこには鳥の巣のように毛布やタオルケットと大きなぬいぐるみとか、柔らかそうな汚れたモノが沢山、クシャクシャと置いてあった。僕は一瞬、見てはいけないものを見たなと感じたが遅かった。
Dは、きまり悪そうに僕に言った。僕はここで寝ているんだ。この中でしか眠れないんだ。
そう言って、彼はクロゼットを閉じようとした。
しかし、僕はそのクシャクシャした毛布やらなんやらの中に幼い頃の両親との写真があったのを見てしまった。
その時、僕は彼の心の奥底をも見てしまったような気がした。
なんとなく、哀しく、ちょっと嫌な気持ちがした。一瞬の話である。
でも、その後もDとの普通の日常は僕が帰国するまで続いた。
相変わらず、仕事ではいろんな事を教えてもらい、休日になると遊んだ。
Dが僕を呼ぶときの「Goofy-Sami!!」という声と発音はまだ僕の耳の中に残っている。
まさむね
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