朝青龍のうずくまりは、大相撲新時代到来を告げるか
大相撲・五月場所は日馬富士の初優勝で幕を閉じた。
優勝決定戦は、常に先手で攻めた日馬富士が、白鵬を強引に投げきった。
本割りでも琴欧洲を首投げで仕留めている。勝負師としての勘が冴え渡った一日だった。
一方、白鵬は日馬富士に敗れて狐につままれたような顔をしていた。もともと、彼は負けた瞬間にこそ、いつも人間らしい表情を見せるタイプでるが、本割りで朝青龍を完璧に負かしていただけあって、日馬富士との一戦のあっけなさは会場全体も唖然という感じであった。
解説の北の富士さんも言われていたが、もはや、白鵬のライバルは完全に朝青龍から日馬富士に移った。
優勝決定戦前の控え室で、日馬富士に耳打ちする朝青龍の姿は、彼の人間的な暖かさと同時に、時代の流れをも感じさせる、やや複雑な光景であった。
しかし、だからこそ、これからの朝青龍の反骨精神に期待したい。
彼なら奇跡は起こせると思わせる底知れなさを秘めた力士、それが朝青龍だ。
一方、初優勝の日馬富士、仕切りの際の極端な低姿勢、塩を捲くさいのピョンピョンなど、オリジナルの様式美を身に付けつつある。勝負は来場所である。
幕内最軽量でありながらの今の地位は、相撲は体だけじゃないということを図らずも示してくれている。
もしかしたら、日馬富士の台頭は、鶴竜の成長とともに、体の時代から技の時代への移行の象徴になるかもしれない。
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さて、今場所、気になることが一つあった。
力士達の怪我があまりにも多かったことだ。
魁皇、千代大海の満身創痍は仕方が無いにしても、初日の把瑠都、五日目の安美錦、豪栄道、そして14日目の朝青龍と上位陣は軒並み怪我に泣いた。それに、加えて立会いの待ったの多さも気になった。
千秋楽もそうだった。幕入り一番目の翔天狼と若荒雄の立会いから、既にそんな雰囲気がただよっていた。
どこかいつもと違った今場所、いい意味でも悪い意味でも、土俵の空気が微妙に乱れていたのではないだろうか。
その現場に居合わせたわけではないので、確信的なことは勿論、言えないのだが、テレビを通して見る限りで、その空気の乱れを感じ取ることが出来た。
★
何年かに一度、何場所かに一度、土俵が乱れることがある。
しかし、大相撲が秩序と格式を重んじるのは逆にその「稀な乱れ」に対するタメのある演出ではないかと思わせるくらい、その乱れは魅力的な一瞬でもある。
土俵の下に潜んでいるという神々のいたずらとでも言うべき、この一瞬。
特に14日目。白鵬が琴欧洲に転がされ、朝青龍が日馬富士に倒されて、土俵にうずくまった。
それは、様式美を重んじる大相撲では誠にめずらしい光景であった。
勿論、朝青龍のその態度を責める気にはならないが、その光景の異常さは印象に残った事だけは確かである。大相撲はスポーツであって、スポーツではない。我々の目の前の朝青龍の姿はおそらく、スポーツとしてはアリの風景だが、大相撲としてはアリの所作なのだろうか...
他のプロスポーツでは一番の見せ場である感情表現を大相撲が取り入れていくのか、それとも、美学にこだわって拒絶し続けるのか...
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この朝青龍の所作が、長年、見慣れてきた大相撲に生じた微妙な変化(進化)なのか、それとも、容易に忘れ去られるような一瞬の出来事なのか。
それは今後も、大相撲を見守らなければわからないことではあるが、国技館、開館100年目にあたるという今場所は、そういう意味でも記憶に残る場所になる可能性があるように感じたのは僕だけであろうか。
まさむね
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