烏山の専光寺でみつけた杏葉紋と茗荷紋との混乱
烏山の寺町は東京の中でも特異な場所である。
関東大震災によって浅草をはじめとした江戸の寺院が震災にあって、この地に移ってきたという。
浄土真宗、浄土宗、日蓮宗など、様々な宗派の寺々が集まっている独特の雰囲気があるのだ。(写真は高源寺の鴨池)
勿論、それぞれの寺には、有名人が眠っている。
高源院には漫画家の園山俊二氏、幸龍寺には漫才師の内海好江師匠、専光寺には浮世絵師の喜多川歌麿、永隆寺には五代目と六代目の三遊亭圓生師匠、常栄寺には将棋名人の升田幸三、妙高寺には天保の改革で有名な老中・水野忠邦といった具合だ。
それらの墓を一巡りするだけでもちょっとした歴史散策と健康のためのウォーキング、一石二鳥のお得コースである。
★
僕は、それらの墓と同時に寺紋にも興味を持ってみて歩いたのだが、一つ気になることがあったのでこれを機会に記してみたいと思う。
それは、茗荷紋と杏葉紋のことである。
杏葉紋は、もともと、九州戦国大名の雄・大友家の家紋であったのだが、戦乱の中、その紋に憧れる多くの他家の紋となって九州全般に広まっていった。特に、大友氏が耳川の戦いで島津氏に敗れると、それを機に乗じた龍造寺家が、大友氏を圧倒し、同時にこの杏葉紋も奪ったというのは有名な話である。
しかし、この杏葉紋は、一見すると茗荷紋に似ているのだ。よく見ると、杏葉紋には、茗荷にあるような葉脈が描かれていない等の違いはあるのだが、特に注意していないと混乱するのも無理は無い。実際、杏葉紋の本家、大友氏自身が自家の紋を茗荷紋と記している書物もあるらしい。それほど、似ているのだ。
尤も、逆に言えば、多くの人にとっては家紋というものはそれほどこだわるものではなかったという事かもしれないのだ。
僕は上記の杏葉紋と茗荷紋の混乱の話は、家紋関連の本で読んで、知識としては知っていたのであるが、烏山の専光寺で、はじめてこの目で確認することが出来た。
専光寺は、浄土宗の寺院である。浄土宗の開祖である法然が大友氏の出ということで、浄土宗系の寺院ではこの杏葉紋がシンボルとして飾られている事がよくある。伊能忠敬が眠る上野の源空寺でもそうだった。
確かに、烏山の専光寺の門には、立派な杏葉紋が付けれらていた(左上図)。
しかし、寺の境内に入ってみると、火除け水鉢には、杏葉紋ではなく、立派な茗荷紋があるではないか(左下図)。
勿論、僕はここでそれをあげつらいたいわけではない。
それどころか、細かいところにこだわらない日本人のおおらかな精神を尊重したいのである。
もしかしたら、火除け水鉢を受注した職人さんが茗荷紋にしてしまったのにたいして、住職さんは笑顔でありがとうと言って、その職人さんのミスをかばったのかもしれない。そんな物語すら逆に想像してしまうのであった。
★
僕は家紋が好きで、いろんな墓を巡っているが、時に、家紋帳にある規則とは違った家紋に対するご先達のおおらかな態度に出会うことがある。
そしてそんな時、何故だかわからないが、必ずといっていいほど、「いい加減だなぁ」と感じるよりも、「おおらかだなぁ」とほほえましく、暖かい心持にさせられる。
最近、何かと他者に、特に、その失敗に対して、厳しい風潮があるが、そういう態度は決して日本人らしくないのではないかと、杏葉紋と茗荷紋との混同を見て思う烏山での休日であった。
まさむね
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