いまの尾崎豊ブーム。それはそれで結構な話だが...
LISMOの着うたフル解禁によって、尾崎豊ブームが再燃しているらしい。
RIAでの有料ダウンロードランキングベスト100でもそれなりの結果を残している。
4月22日~4月29日
13位 I LOVE YOU
20位 僕が僕であるために
25位 卒業
50位 十七歳の地図
100位 太陽の破片
4月30日~5月5日
17位 I LOVE YOU
24位 15の夜
37位 シェリー
38位 僕が僕であるために
45位 卒業
56位 Forget-me-not
亡くなったのが1992年4月25日だから、すでに17年が経っている。
比喩的に言えば、尾崎が死んだ時に生まれた子供が「十七歳の地図」を描ける年齢になったということだ。
もともと、尾崎豊は80年代の荒れる中学生の時代に、時代の代弁者として世に出た。
いわゆる団塊Jr.、ロストジェネレーションのカリスマである。
今回の尾崎ブームは、今、現実世界でも最も多くのストレスをかかえて思うようにならない世代の人々が、尾崎の心の叫びにもう一度、耳を傾けるという図式なのであろうか。それとも、今の十代の若者が新しく、尾崎を求めているのであろうか。
いずれにしても興味深い、現象である。
★
確か、今年の1月に行われたミュージックステーションの昭和の歌ベスト100で尾崎豊の「I LOVE YOU」がトップだったという記憶がある。(参考エントリー:2000年以降のヒット曲には何故「桜」の歌が多いのか)
その時にも感じたのだが、昨年来の不況の中で、現代という時代を、最も映し出す可能性があるのは、尾崎ではないのかということであった。
尾崎が例えば、「I LOVE YOU」で描いた、貧しいけど、どこか美しい世界。
具体的に言えば、「きしむベッド」とか「落ち葉に埋もれた空き箱みたいな部屋」「二人はまるで捨て猫みたい」という言葉が生み出す追い詰められの美学。
それが、「いま」にフィットしているのかもしれない。
本来だったら、ちょうど、1998年の不況時に、宇多田ヒカル、浜崎あゆみ、aiko、モーニング娘。、MISIA、キロロ、椎名林檎が出てきたように、今年もニューフェイスが出てくるべきなのだろうが、現時点では寡聞にして、そのような声は聴こえてこない。
そして、その代わりにブームになっているのが尾崎豊、というのが僕の見たところである。
★
そんな時代を象徴するかのように日曜日の「うたばん」は過去の名場面特集を2時間もやっていた。おそらく、ニューフェイスをテレビに登場させても数字がとれないのであろうが、今年に入って「うたばん」で幅を利かせているのが、秋元順子と水谷豊というのはあまりにも寂しいし、番組制作側のチャレンジ精神も感じない。
でも僕は、それでも、日本のどこかにギター一本かかえて、目をギラギラさせている新しい才能に期待したいと思う。
まさむね
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