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2009年6月28日 (日)

マイケルジャクソンの死で思い出すこと

マイケルジャクソンが死亡した。

これから様々な「真実」が出てくるのだろうが、それにしても早すぎる死である。



僕がカナダの西海岸の田舎町に住んでいた頃(80年代末期)、おそらく、その時期はマイケルの全盛時だったと思う。

僕はそこで、何人かの白人の同僚に「マイケルジャクソンはあまり好きではない」という感想を聞いたように記憶している。

よく知られた話だが、カナダという国は、アメリカに対して憧れと嫉妬と軽蔑が入り混じったようなところで、そこから見えたマイケルは巨大化したアメリカ資本主義の象徴のような存在だった。

一人の男のイメージをハリウッドという巨大なエンタテイメントシステムが、人工的に最大限に膨らませた結果としてのマイケル...

そういえば、その頃、ちょうどソウルオリンピックがあった。

あるカナダ人が陸上の100M走で優勝した。その日、オフィスでは、みんな大ハシャギでその話題で持ちきりだった。

しかし、その数日後、その男からドラッグが検出され、金メダルが剥奪された。

オフィスの面々は口々に言った。「あいつはカナダ人じゃない。ジャマイカから来た黒人だ。」

その男の名はベン・ジョンソン。



90年代に入って、マイケルジャクソンは本業というよりもスキャンダルでタブロイド誌を賑わせるようになる。

その好奇の視線は、辛らつで厳しいものだった。

ちょうど、マイケルの全盛時の80年代後半に、彼と同じように一斉を風靡したプロボクサーのマイクタイソン、バスケットボウラーのマジックジョンソンという黒人のスーパースターが下り坂に入った時の厳しい視線には、アメリカのマジョリティが持つ潜在的な願望が投影しているのだろうか。

僕は、同僚達が見せたベンジョンソンに対する手のひらを返したような反応を忘れることができない。



マイケルの死をきっかけにして、YOUTUBEでもう一度、マイケルのパフォーマンスを見直してみる。

その踊りのキレのよさ、歌声の素晴らしさに改めて驚く。

天才という言葉が口をついて出てくる。

彼はおそらく、自分の存在の全てエンターテイメントに捧げたのだ。

そのムーブ、ボイスは人間のものであって、人間のものではないようにも聴こえる。

よくも悪くも「自然」に逆らうそのパフォーマンス。

それが人造的であればあるほど、「本当のマイケル」とはどういった存在だったのかが気になる。

亡くなっても尚、新たな伝説が紡がれていくのだろう。それがスーパースターの宿命だとしても、やはり哀しい。



まさむね

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