琵琶法師・山鹿良之師と酒井法子に共通する悲しき宿命
青池憲司監督の「琵琶法師 山鹿良之」を見てきた。
このドキュメンタリ映画の主人公、山鹿良之師は、熊本を拠点に北九州地方一帯で活動してた日本最後とも言われる琵琶法師だ。
その謡声は、90歳を超えているとは思えないほどのハリがあり、その迫力と存在感は、師の長年の人生そのものの表出である。
師は、4歳の頃、片目の視力を失い、22歳の頃、天草の琵琶弾きのもと、修業の道に入ったという。
おそらく、それ以来、つらいことがあっただろう。世間からの残酷な視線の中、芸の道一筋の人生は口には出せない経験もしてきたのだと思う。
古来、日本の芸人は、北は津軽三味線芸人(ボサマ)から、南は薩摩盲僧琵琶まで、盲目という運命ゆえに、放浪の門付を余儀なくされてきた。
例えば、瞽女という盲目の遊女、あるいは座頭として、圧倒的なマジョリティの定住民=世間にとってのマレビト(異人)として蔑まれてきたのである。
日本における芸能とは、世間の憐憫と好奇の視線によってこそ光り輝くという悲しき宿命を持っているのだ。
僕はその巨体ゆえに、プロレスラーになり、ヒーローであるとともにどこかに哀愁を漂わせた昭和の伝説的レスラー・ジャイアント馬場と同じ存在感を山鹿師に見るのであった。
しかし、残念ながら、そういった山鹿師と世間との残酷な関係性はこのドキュメンタリでは描かれていなかった。
ここに出てくる師の周りの人々はみな彼に対して優しい。勿論、それはそれで心温まるものがあるのは確かだが、それでも彼ら・定住民と、師との間に目に見えないが確実に存在する一線があるような気がする。
★
フィルムの中の山鹿良之師は、己の悲しき運命とダブらせるかのように、中世の貴種流離譚、異界との交流譚、男女の不変の愛の物語「小栗判官」を謡うのである。
小栗判官とは、中世の伝説的人物である。
小栗判官は、関白・藤原家に、すなわち貴種として生まれ、色男としてその名前を轟かせるが、姫に化けた池の龍と契りを結ぶことによって都に天変地異を起した罪で、常陸の国に流される。
しかし、そこでも頭角を現す小栗判官は、常陸の国主としてその地を平らげ、美女の誉れ高き相模の国の照手姫に恋文を送り、押しかけ婿となるが、それを不快に思う照手姫の父親・横山大膳に荒馬の「鬼鹿毛(おにかげ)」をけしかけられ殺されそうなる。しかし、その荒馬を乗りこなす小栗判官。実は、その鬼鹿毛は、かつて小栗判官と契りを結んだ池の龍の生れ変りだったのである。
ところが、油断した小栗判官は、酒宴で毒入り酒を飲まされ命を落としてしまう。
一方、照手姫も大膳の怒りを買い、河に流されてしまい、命は救われるものの人買いの手にわたり、遊女小屋の女中として働かされるが、決して体を売るような事はなかったという。
また、地獄に堕ちた小栗判官は、閻魔大王に対する10人の忠臣達の嘆願によって、人間界に戻される。
しかし、その姿はかつての美男子の面影もない。皮膚病によって、まさに餓鬼の姿となっていたのである。
哀れに思った遊行寺の上人が餓鬼となった小栗判官を地車に載せ、熊野へ湯治の旅をさせる。
道々の人々に助けられ、無事、熊野に着いた小栗判官は49日間の湯治のおかげで皮膚病も治り、元の姿となって、照手姫とも再会し、再び夫婦となる。
さらに、都で帝に謁見し、美濃の国を拝領し、横山大膳に復讐するのであった。
この説話は面白い。いろんなイメージを沸き起させる。
この物語には、日本を代表する様々な物語の要素を内包しているのだ。
例えば、貴種の小栗が若い頃に様々な女性に手をつける色男だった事、しかし、ある女性関係の失敗により、都から追放される事、これは「源氏物語」と同型である。
また、酒席によって形勢が逆転する展開は、ヤマトタケルやヤマタノオロチといった日本神話を思い起こさせる。
人間以外の動物との性的交わりは、「遠野物語」のおしら様伝説や「南総里見八犬伝」と通じるものがあるし、忠臣に助けられたり、一人の女性に愛され続けるところは「義経記」に近い。
また、因果応報的展開や、僧侶の功徳によって救われるところは、仏教説話的な要素もあるが、湯治(禊)によって再生するところは、神道的にも思えるのだ。
さらに、余談ではあるが、この小栗判官の小栗家の末裔には、オグリキャップの馬主の小栗孝一(実際には養子だが)が出るのだが、オグリキャップと鬼鹿毛(おにかげ)とのイメージはどこか重なるところがある。
★

盲目という不幸を背負った山鹿良之師。
しかし、その宿命ゆえに説得力を持った彼の芸。
そんな映画を見た僕が、家に帰ると「酒井法子の逃亡劇、そして不幸な生い立ち話」がテレビに写っていた。80年代から、90年代の日本を代表するアイドルの零落はあまりにも寂しい。
芸能界という華やかな世界の陰に存在する不幸な宿命...
山鹿師とノリピー、一見全く違う世界の二人を地下水脈のように結び付ける日本芸能の薄暗き伝統について、僕は考えざるを得なかった。
まさむね
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