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2009年8月19日 (水)

幕末百人一首と靖国神社と絆のある社会の再生問題

若い頃、白虎隊とか新撰組とか、いわゆる幕末の反動的な勢力として命を落とした人々に感情移入が出来なかった。

何故、彼らには次の時代が見えていなかったのか、僕には理解ができなかったのだ。

正直なところ、極端に言えば愚かで無知な人々だとすら思っていた。

だから、彼らを題材にしたドラマや映画はほとんど見なかったし、興味もなかったのである。



しかし、最近、段々と彼らに対して思いを馳せられるようになってきた。

僕も少しは大人になったということだろうか。

先日、「幕末百人一首」(菊池明)を読んだ。幕末に活躍した百名の短歌を集めた歌集だ。

それぞれの人々が各々の宿命に従って精一杯生きた時代、彼らのすがすがしさには現代の僕たちが忘れてしまった何かがある。



武士の猛き心にくらぶれば 数にも入らぬ我が身ながらも



これは会津藩士の娘として生れた中野竹子という当時19歳の女性が新政府軍と戦い、戦死する直前に詠んだ歌、「国を思う藩士の皆様の勇猛果敢さに比べれば、私など数にもはいりませんでしょうが、力の限り戦います」(現代語訳:菊池明氏)という意味である。

彼女に限らず、この時代に生きた人々の純粋さと教養の深さには驚かされる。

それと比べて、靖国神社で鳩を放って「正義の白い鳩」をアピールするような下品さはなんとからないものか。

これも時代の流れということなのだろうか。

       ★

いろいろな墓地や霊園を回っていると、忘れられたように草むらの中に埋もれている大佐とか中尉等の位階が記入された元軍人達の墓をよく見かける。

おそらく、遺族の方々も歳をとり、それらの墓は、段々忘れられてしまうのかもしれない。

そして、歴史の中に埋もれてしまうのだ。

これは仕方がないことなのだろう。

小林秀雄は「歴史とは死んだ子の歳を数える母親の心情に似ている」というようなことをどこかで書いていたが、そんな母も亡くなってしまえば、歴史はただの記録になってしまう。

そしてその記録は、「母親の心情」とは全然関係のない観念に利用されるか、ただ忘れ去れてしまうのだ。

       ★

靖国神社問題は今、曲がり角に来ている。

いや、もしかしたら、もう曲がり角を曲がってしまったのかもしれない。

民主党が政権を取ったら靖国神社とは別の無宗教の国立追悼施設が出来るだろう。

そしてそれは、いわゆる「母親の心情」とは関係のない建物になるのであろう。

明治政府は、靖国神社を東京の鎮守として設計した(東京は死者に守られている霊的要塞都市である)というのが僕の説であるが、靖国神社がないがしろにされれば、その霊的守護体制も壊れてしまう(かもしれない)。

       ★

江戸時代の平和だった250年間もの間、日本は地方分権、地方自立の国柄を誇っていた。

しかし、ペリーが来航して、幕府が倒れ、明治時代が始まると、日本の地方の力は国家という中央集権権力に収奪され、地域の村社会は空洞化の一途をたどった。

その成れの果てが現在の地方疲弊の状態である。この大きな歴史の流れを見ずして小泉改革のみに地域の疲弊の責任を押し付けるのでは、問題を見誤りかねない。

そんな簡単な話ではないのである。

しかし、それでも僕は、民主党政権に期待したい。それは、彼らには「この壊されてしまったかつての村社会に替わって、必要とされる新たなる地域コミュニティの創造こそが、日本再生の道である」という認識があると思うからである。(マニフェストの「4.地域主権」のところに、「市民が公益を担う社会を実現する」とある。)



しかし、その新しい「絆のある社会」のあり方の具体的な姿に関して、民主党は、(NPO設立を簡素化するなどとあるだけで、)今回の選挙では積極的にアピールしていない。

そして、政策内容の一般的理解としては、官僚主導を政治主導に改め、市民には金をバラ撒くということだけになっているのだ。

おそらく、これは選挙戦略的な対応なのだろうが、こんなことをしている時間はあるのだろうか。

次の一手に関するヨミは万全なのだろうか。



国立追悼施設の設立と平行して実行しなければならない、民主党の本当のテーマは、まだ手つかずである。



まさむね

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