今更ながらで恐縮ですが「世界のフラワーロード」は凄い
「総力特集・21世紀のザ・ビートルズ」という表紙に誘われて「SNOOZER」という雑誌を購入してしまった。
ビートルズ以外は興味が無い、というか全く知らないバンドの記事なのだがこれが意外に面白いのである。
中でも僕が一番、面白いと思ったのは「世界のフラワーロード」というアルバムを出した100sというバンドのリーダー・中村一義のインタビュー記事だ。
もっとも、読んでみようと思ったのは、この記事のリードのところの以下の文章に惹かれたからだ。
「サージェント・ペパー」をロールモデルにしたと思しき、「原風景」をテーマにした重厚なコンセプト・アルバム。初期中村一義作品を思わせる、67年型ビートルズ直系サウンドで幕を開ける、痛みの物語のコレクションだ。
インタビュアーで雑誌の編集長でもある田中宗一郎氏は、さらにインタビュー前記でこう書く。
中村一義にとっての原風景=フラワーロードは、それを思い出すだけで安らかな気分にさせてくれる懐かしい場所などではなく、出来ることなら記憶の奥底にしまい込んでしまいたいだろう悲しみと怒りが交錯する傷だらけの場所のようだ。
(中略)
このアルバムは、臭いものに蓋をし、傷つくことから身を守る術を身につけ、忌まわしい過去を忘れ、もうすっかり自分は大丈夫だと思い込んでいる今という時代に対する「本当にそうなのかな?まさか君自身の忌まわしい過去が、今も未来へと続いていることに気づいてないわけないよね?」というメッセージでもあるだろう。
僕はさっそく、Youtubeでこの「世界のフラワーロード」に収録されている何曲かを聴いてみた。
こういうとき、Youtubeというのは便利だ。「今」に生きていてよかったと思える数少ない瞬間である。
確かに、ビートルズを前世で聞いていたかのような歌声は魅力的だ。
しかも、歌詞のところどころにある「毒」が素晴らしく今を表現している。
田中宗一郎氏が「痛みの物語のコレクション」と評するのもよくわかる。東京の東の端の何の変哲も無い住宅街(小岩)にある衰退に一歩足を踏み出した商店街、それがフラワーロードである。
人の賑わいは確かにある。しかし、そこにはすでに深い人と人とのつながりは無い。少なくとも中村一義にとっては。
しかし、彼はそこで生まれ、育つ以外選びようのない、ある意味、貧しい人生を押し付けられたのだ。
矢沢永吉の成り上がり、長淵剛の上京、桑田圭祐のロマンティズム、尾崎豊の反抗、桜井和寿の自分探し...一流のロック(?)シンガーはみなオリジナルな物語に恵まれている。
しかし、忌野清志郎にしてもそうだが、この中村一義もそういった物語が欠如した状態から始めなければならなかった、ある意味不幸なロッカーだったのではないか。

彼は故郷=原風景=フラワーロードにイメージの断片を重ねる。それは物語にはならない断片にすぎないが、逆に、その破壊された全体性こそ、中村一義のアイデンティティそのもののような気がする。
そこに生まれ育ってしまったことの行き場の無い痛み、そして恨み、それが彼の毒となり、聴くものの心の奥に届くのだと僕は勝手に解釈する。
彼は「最後の信号」という歌の中で歌う「俺も星に。この信号も星に。斜め前に見えるあの十字も星に。」それは美しいが、確実に破壊へ向かう(タナトスの)言葉=世界ではないのか。
そういえば、何年か前に、僕は生れ故郷の中野通り沿いのなんの変哲もない商店街にフラッと行ってみた。しかし、そこは既に商店街ではなかった。あの賑やかだったおばさんや子供達の嬌声はもうそこにはなかった。
その瞬間、僕は、絶望という名前のやり場のない痛み、そして根拠のない悪意を持った、確実に。
「世界のフラワーロード」収録の数曲を聴いただけだが、100sの音楽には僕のなくなってしまった原風景への憧憬、そして、何故か悪意=恨みにも通底していると直感した。
何を今更、言ってるんだって声があるのは百も承知で書く。
中村一義、凄い才能があったものである。
さて、話は変る。
僕に中村一義を教えてくれたこの「SNOOZER」という雑誌は、全編、編集長の田中宗一郎氏の思想、色合い、趣味がにじみ出ている。こういう雑誌に出会ったのは何年ぶりだろうか。70年代の後半に三浦雅士の「現代思想」に出会い、80年代後半にターザン山本の「週刊プロレス」に出会った以来かもしれない。
やっぱり、一つの強烈な個性がなにものかに突き動かされた宿命のようなもので突っ走ることによって出来た雑誌は、とてつもなく魅力的だ。
おしむらくは、僕は雑誌ではなく、WEBやブログでそういった「なにものか」に出会ったことがない。
僕が、インターネットに待望しているのは、実は、WEB2.0とかクラウドコンピューティングとかの技術的なパラダイムの進化ではない。やっぱり、狂気だ。
まさむね
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