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2009年8月30日 (日)

橋本治と井沢元彦、どっちの不比等観が真理に近いのか

橋本治の「日本の女帝の物語」を読んだ。

推古天皇から斉明天皇、持統天皇、元明天皇、元正天皇、そして称徳天皇までの歴史物語である。



一般的に、この時代の物語が面白いのは、まだ歴史的な事実が確定していない曖昧さ(謎)があるからであり、そして、その曖昧さには、例えば、天武天皇の素性であったり、日本書紀の隠された意図であったり、東大寺創建の理由であったり、僧・道鏡と称徳天皇の関係といったいくつかの大きなテーマがある。



僕は、いわゆる正史に書かれた歴史に対して疑いの眼を持つ歴史の見方が好みであるが、そういった眼から見ると、この橋本治氏の「日本の女帝の物語」は、ヌルいように感じられる。

残念ながら、橋本氏の古代人を見る眼は甘いのである。

もともと、僕は橋本氏の文体は嫌いではない。また彼が選ぶ著作対象には興味のあるものが多い。だから、彼の本は比較的よく手に取ってきた。

しかし、彼の著作は面白いのだが深くはない。表層的な「いい切り」が時に気持ちよかったり、意外性があるだけで、わかったような気にさせてくれるのはいいものの、実はそれほど心の奥深くには届かないと言ったら言い過ぎかもしれないが、軽い印象を受けるである。

例えば、彼は藤原鎌足と不比等の親子に関して、こう語る。

父の鎌足は変わった人で、あまり欲がありません。鎌足には、不比等より十七歳年上の真人という長男がありますが、彼は出家して、弟の不比等が生まれる以前に僧になっています。たった一人しかいない息子を僧にしてしまうということは、そのことによって自分の家を断絶させてしまうことですから、当時としてはありえない選択です。でも、父の鎌足は、長男にそれを許してしまった-そういう家の息子なので、不比等にもあまり欲がありません。


しかし、逆に「当時としえはありえない選択」をしたからこそ、鎌足は怪しいと考えるべきではないだろうか。むしろ、彼はその本心を隠すためにこのような行動に出たのではないだろうか。さらに、鎌足の子、不比等も、結果として、彼の妻の県犬飼三千代は、日本で始めて女性でありながら「橘」姓を賜る、また、娘の光明子は、日本で始めて皇族ではないのに皇后となる。また、彼の子孫の藤原家はその後、「寄生虫な存在として」日本社会の支配層として君臨するのだ。それでも不比等は無欲だったといえるのだろうか。

上記の橋本治の見方とは180度異なる見方をしているのが井沢元彦氏である。彼は、その「逆説の日本史」でこう語る。

不比等は、天智の腹心であった藤原鎌足(中臣鎌足)の次男である。長男の貞慧は早く出家したから、藤原家の跡取りであった。不比等は、持統の不安を見抜いて、いち早く「持統派」に転じた。持統政権は決して磐石なものではない。だからこそ不比等がそれを確固としたものにすれば、出世の大きな足がかりになる。まさに、機を見るに敏だが、この政治的センスは父親譲りのものだろう。


どちらの見方をとるのか、それこそ、読者の趣味の問題かとは思うが、どちらがより真実に近いのかは、その後の歴史の流れを見れば、あるいは後に書かれた「竹取物語」で不比等を擬したといわれる車持皇子が最も卑劣な人物として描かれているという事実を勘案しても、それ明らかだと思う。

僕は明らかに井沢氏に軍配があがるように思えるのだ。

       ★

おそらく、井沢氏は歴史上の人物の行動を「思想・宗教」という観点から見ているのに対して、逆に橋本氏は、歴史上の人物の動きを現代人的な価値観で見ようとしている。

勿論、これは桃尻語訳「枕草子」「百人一首」などを著している橋本氏ならではの視点であり、古代人に現代人に通底する価値観を見る見方は、それはそれで面白いのだが、少なくとも梅原猛氏、井沢元彦氏の著作を読んだ後では、色あせて見えざるを得ないというが僕の正直な感想なのである。

この「日本の女帝の物語」の最後に橋本氏は自信たっぷりに記す。

男にとって「女の心理」がむずかしいのと同様に、女にとっても「世の中を構成している男達の心理」は難解だということです。女が上に立って、「世の中を構成している男達」のことを、「なんてバカなのかしら」と思ってしまえば、その時から彼女は「エゴイスティックな権力者」になります。そして、「女だって権力を手にしていいんだ」という、その「エゴイスティックな理解」が女達の間に当たり前に広がっていけば、世の中はいくらでも騒がしくなるでしょう。もしかしたら、それは現代にも通用する「真理」であるのかもしれません。


いい悪いは別にして、こうした橋本氏的な軽くて浅い観点は、今後もメジャーであり続けるのだろうか。



まさむね

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