かつてのモーレツ社員的価値観をもてあます年代の苦悩
時代というのはいつの間にか変わっているものである。
後世の人からみると、それはわかるが、コンテンポラリに生きている人々にはなかなかそれはわからない。
例えば、明治維新後の旧士族の意識を今から覗いてみる。おそらく、あの時代、幕府がなくなったということはわかっていても、自分達の価値観が既に古くなってしまっているという意識を持てなかった者が多くいたに違いない。
だから、西南戦争をはじめ、いくつかの士族の反乱があったし、多くの元サムライが商売に失敗したのである。
今から見れば、それはある意味、滑稽だが、彼らにしてみれば、それは必死の戦いだったのであろう。
しかし、今の時代を生きている僕らは、そんな価値観の変化に翻弄された人々を笑うことは出来ないと思う。
実は、まさに僕らはその地殻変動の真っ只中にいるかもしれないからだ。
僕は来月で50歳になる、中年だ。
僕らが20歳代の頃、時代はバブルだった。「24時間働けますか♪」というリゲインのCMが象徴的だが、あの頃、僕らはよく働いた。
公私の区別なんてなかった。あの時期、僕にとっては、ほとんど全てが仕事だった。
一ヶ月の残業時間が100時間なんていうのは普通。僕の残業時間の最高は196時間だった。
でも、周りの同僚もみんなそうだった。あの時代、ソフトハウス、システムハウスに勤めている技術者の生き方はそんな感じだった。
仕事の合間には、よく上司に、接待のお供として歌舞伎町の韓国パブに連れて行かれた。
風林会館のあたりだ。
当時は、夜遅くなるとタクシーが捕まりにくいので、お客さんの帰りそうな時刻の30分位前に、店をこっそりと抜け出して、空きタクシーを捜して靖国通りにへばりつくのだ。
それにしても、今、考えると何をやっていたのだろう。
30歳になって、海外に行ったが、バブルが崩壊し、僕は海外から帰ってきた。
僕は、その後、映画配給会社の海外ゲームローカライズの部署に課長として転職した。
そして、そこでも働いた。ちょうどオウム事件が起きた頃だ。
僕は毎日のように、夜遅く、六本木のオフィスから、オウムの青山総本部道場の脇をタクシーで恵比寿まで帰社したのを覚えている。
事件真っ只中の日々、そのあたりはマスコミがたむろしていた。タクシーの運転手は言った。
「最近、『オウム渋滞』って言って、あの青山道場の脇は混んでて通れないんですよ。」
その頃、僕は、年に休みを、5日位しかとっていなかったと思う。
そんな日々が続いたが、その後、僕はその会社を退職した。
退職しても仕事が残っていて、会社に通い続けるという間抜けな状態だった。
「あれ、○○さんは昨日退職したんじゃなかったっけ?」
そういわれながら、会社で残業(?)していた。有給消化などという文化はその会社にはなかったのである。
とにかく"面かぶりクロール"状態で、僕はその会社時代を過ぎ去った。
しかし、今考えると、バカな話だ。そんなに働いても、決して事業は上手くいっていたわけではなかったからだ。
それはただの自己満足だったのかもしれない。
しかし、あの時代、日本は、そうやって無理をすることによってようやく欧米に追いついていたのかもしれない。
みんながみんなそうだから、そういった無理なビジネススキームの矛盾というものに気づかなかったのだ。
特にソフトハウスの上司の方々は、よく働く人が多かった。
そういう人たちの背中を見て育ったから、僕たちも働かざるを得なかったのだ。
そして、僕に続く部下もそれを見て、とにかく働いていたのだ。
そんな時期、確かに部下の管理は、今より楽だったのではないだろうか。今考えると、上司の方々には特に管理のノウハウなどなかったのかにしれない。ただ、自分の背中を見せるだけでよかったのだから。さらに言えば、かつては、一応、終身雇用、年功序列というシステムがあった。だから、上司は、そういった慣習を背負った形でものを言うことが出来た。上司に逆らうということはそういった文化に逆らうことになる。多くの新人にとっては、それは自分の将来に唾するようなところがあったのだ。
しかし、今は時代が変わった。会社に自分を賭けるような生き方はもはや、役所や一部の大企業にしか存在しない。
自分の事を言うならば、自分の体力も劣化してきた。僕は肝炎になったということもあったが、もう、残業をしまくるようなスタイルが維持出来なくなってしまったのである。
そうなると、自分は仕事をそれほどしないで部下に指示するようなスタイルに頭を切り替えなければならない。
しかし、それが出来ないのだ。理論的にはわかっているのだが、そうやって時代の価値観に合わせて部下を管理するということが、なかなか難しいのである。
業務時間は働くが休日はゆっくりやすむ、残業はなるべくしない、それで出来る範囲が仕事というものである。
それは考えるまでもなく、当たり前の話だ。
しかし、僕の頭の中のどこかに仕事というものは、公私関係なく、頭と体の全てを捧げるものだという古臭い価値観が死ねないでいる。だから、言うことが、どうしても口先だけの話になり、チグハグになってしまうのだ。
僕はまだ、この新しい時代に、上司として、使うべき的確な思想と言葉と態度を持っていないといつも感じている。
おそらく、僕と同じ中年の管理職の方々は同じような悩みを持っているに違いないと思うのだがいかがだろうか。
まさむね
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