紋所という視点から眺めた川崎大師・平間寺と若宮神社
先週末、川崎方面の墓巡りをしたついでに、川崎大師と近くの若宮八幡宮へも行ってきた。
それぞれの寺紋、神紋を確認するためだ。
川崎大師・平間寺は、元々真言宗智山派の大本山である。京都の総本山智積院の寺紋は桔梗であるが、関東にある大本山はそれぞれが異なった寺紋を使用している。
成田山新勝寺は、元々、朝廷が平将門を調伏するために、千葉の地に不動明王を奉ったのが始まりである。そのため、長い間、菊紋を使用していたらしいのであるが、明治以降、菊紋の使用が禁止されたため、菊の花をはばかり、葉菊をあしらった牡丹をその紋所にしたという。成田山の葉牡丹(左上図)といえば有名だ。
また、高尾山薬王院も智山派の大本山だが、ここの寺紋は三つ紅葉紋だ。見方によっては、天狗の葉団扇のようにも見えるのは、山伏の山岳信仰を根っこに持っている寺院だからだろう。
そして、川崎大師の寺紋は、三つ柏である。柏は、宗像神社や恵比寿神社も、神紋として使用しているが、どちらかといえば、海の民に神聖視された植物である。ここ川崎大師もその山門の大提灯は、漁業関係者によって奉納されたようだ。寄進者には佃島関係、網元関係者の名前まで見ることが出来た。(写真は本堂内の大提灯の柏紋)
しかし、この川崎大師・平間寺は、漁業関係者だけの寺ではない。それを端的に表しているのは、寺の屋根に飾られた菊紋、桐紋だ。やはり、どこかで皇室とつながることによって、広く一般市民の厄除け寺として発展したのであろう。
そんな歴史が、屋根の上のそれらの紋に垣間見られた。
また、今日(20日)は、秋の大祭があるということだが、そのポスターでは桔梗を使用していた。
勿論、それは、先ほど述べた、智山派・総本山の智積院の寺紋を意識ているのかどうかということは不明である。
しかし、僕は個人的に、桔梗という花が土地の霊・平将門を調伏する朝廷勢力のシンボル的な紋所として、成田山の影紋であると信じているのだが、成田山と並んぶ関東の庶民派の大寺院の川崎大師も、どこかで桔梗という花を意識しているのではないかと思うのであった。(「平将門と桔梗との因縁都市・東京の歴史」参照の事)
川崎大師のすぐ近くにあるのが、「かなまら祭」で有名な金山神社を境内に持つ若宮八幡宮だ。この「かなまら祭」は、ピンクの巨大なマラ容をした御輿を担いで、練り歩くので有名である。
ここに奉られている金山比古神(かなやまひこのかみ)と金山比売神(かなやまひめのかみ)の二柱を祭神は、元々は、鍛冶や鉱山の神であると同時に、子授け・夫婦和合、性病避けの神であるが、最近はエイズよけの意味もあるということだ。信仰が時代によって変わっていくことは、その信仰が生きているということ、結構な話だと思う。
さて、この金山神社の社殿には、弁天様の象徴である波に三つ鱗紋(左写真)があった。どこかで、女神の弁天様と習合したのではないかというのは、私の想像だ。また、社殿のすぐ近くにはレプリカの黒光りしたマラ(左上写真)があり、来社した善男善女の薄ら笑いを誘う。
こういった土着的なおおらかさは僕は好きだ。明治以降、近代国家を目指した日本は、全国の神社を格付けして、こういった土着的な想像力豊かな神々を排除し、忘却しようとした。しかし民間信仰というのは力強いものだ。平成のこの世にもどっこい生きているではないか。
少子化対策の一環として、こういった神社の振興が実は大事ではないのだろうか。
まさむね
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