等身大ガンダムは土地の霊不在のお台場に似合いすぎ
先週の水曜日、9月2日にお台場に行く用事があったのでついでに等身大のガンダム立像を観てきた。
8月31日までのイベントの目玉企画だったこのガンダム像が、まさに解体されるということで、それを惜しむファンも沢山集まって、思い思いにカメラを向けていた。
中には、解体の過程をビデオにおさめようと、長回しでその全過程を撮ろうとするコアファンまでもいた。
左図のガンダム像の右手に写っているのは解体用のクレーンである。
いろんな事情があるのだろうが、彼らの無垢な横顔を見ていると、観光資源として残しておいてもよかったのではないかと思わずにはいられなかった。
視点は変わるが、僕は以前より、東京の東南部には、築地本願寺の墓地が和田堀に移転してしまった後に、霊的なエアポケットが出来てしまい、それをなんとかすべきだと、半分、本気で、半分、SFチックに語ってきたのだが、その霊的エアポケットを塞ぐ意味でもこのガンダム像は解体しないでもらいたかったとも思うのである。
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さて、久しぶりにお台場の地に足を運んだのであるが、どう見てもこのお台場という土地は、人が生きて、根を張るような街には思えなかった。勿論、もともと埋立地なのでそれは当然なのであるが、この土地は、どこか、人間に優しくないのである。
観光客が、自動車やモノレールでやってきて、テレビで観た光景を確認するだけで、そのまま帰っていく、そんな土地にしか思えないのだ。
今は、テレビ局の力と巨大資本の後ろ支えがあって、なんとか人を集める観光スポットとなっているが、それらがあるタイミングで退けば一気に寂れてしまうだろう。
おそらくここは巨大な廃墟になってしまうだろう。そんな近未来図を想像させるような、根無し草的な寒い空気がこの街には流れているような気がした。
自分としては神社=土地の霊が不在の街は、どこか心が落ち着かないが、逆に言えば、そんな殺伐とした運命を予感させる空気が、等身大ガンダム立像と見事にマッチしていたともいえるのである。
しかし、今回のこのガンダム像は、「GREEN TOKYOガンダムプロジェクト実行委員会」という緑溢れる都市再生と魅力ある街づくりを目指す団体の主催らしいが、そういった団体なら、彼らが本気ですべきなのは、ほんの一時期、ここにガンダムを建てて人を集めることではなく、300年単位の未来を考えて、ここに鬱蒼とした神社を建立し、そこの新しい守り神としてガンダムを勧進することだったのかもしれない。
まさむね
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