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2009年10月16日 (金)

織田信長と宮本武蔵とG馬場、その狡猾なまでの慎重さ

「誰が一番強いのか。」

そんな素朴な疑問が僕たちをワクワクさせたそんな時代があった。

勿論、それはプロレスの話である。

「やっぱり、猪木は切れたたら何するかわからない、ああいうヤツが一番強い」

とか

「身体的な潜在能力だったら、鶴田だろう。2メートル近くある身長であのジャンプ力はやっぱり化け物だ」

とか

「ここ一番の集中力はやっぱり、長州だ。体は小さいけど馬力はある」

それぞれ勝手なことを言い合って酒場を盛り上げる。そんな牧歌的な時代、そう80年代である。



しかし、今思うとやっぱり一番強かったのは馬場さんだと敢えて言いたい。

司馬遼太郎の『手掘り日本史』の中にこんな一節をみつけたからだ。

信長に非常に感心することがあります。彼は桶狭間でいちかばちかのバクチをしますね。しかし彼は、その生涯のうちに、こんなバクチは二度と打とうとしない。こんなものは百に一つぐらいしか当たるものではない。そのことを彼はよく知っていたのでしょう。

その後の信長の戦いかたは、味方が敵の数倍になるまで待っています。それまで外交につぐ外交で、敵を弱らせておく。あるいは、ダマしておく。これなら確実に勝てるというときになってから行動をおこす。これは勝つのが当然でしょう。


ようするに信長が戦国の世を勝ち続けたのは、負ける勝負はしなかったからということだ。

この狡猾なまでの慎重さこそ、強さの秘訣だったのだと僕は解釈したい。そして、その慎重さこそ、馬場さんに通じるところなのである。

       ★

おそらく、馬場さんは日本プロレス時代にエースの座を射止めてから、日本人レスラーにはシングルで負けていない。30年間以上も負けていないのだ。

それは馬場さんが負ける可能性があると直感した闘いはしなかったからである。

ご存知の通り、プロレスというのは、シナリオがある。しかし、リングに上がったら、そこには相手と自分しかいない。そこで相手に裏切られたら、それは既成事実として「勝負」になってしまうという世界でもあるのだ。

その昔、木村政彦という柔道家が力道山と世紀の対決をした。よく知られた話であるが、ここで力道山はシナリオを裏切って木村をボコボコにしてしまった。そのせいで、木村は力道山より弱い、そして、柔道は相撲よりも弱いというレッテルを貼られることになり、彼は一生、力道山を恨み続けたという。そして力道山が刺殺されるとこういったという。「俺が呪い殺したのだ」と。



そんな万万が一の非常事態を知っているがゆえに、馬場さんは決して猪木とは試合をしなかったのである。

馬場さんは猪木を信用し切れなかったから、だと僕は思う。



実は、馬場さんにとっての桶狭間のような闘いが若手の頃、「力道山の御前道場マッチ」に存在したといううわさもある。

そこで、馬場さんは大木金太郎にボコボコにされた。しかし、そんな大木に対して、猪木は善戦していたというのである。そしてこれは僕の想像だが、この時の敗戦を心に刻んだ馬場さんは、それ以降、決して負ける可能性のある勝負はしなくなったのである。

       ★

ご存知の通り、信長は、最後に明智光秀に殺される。だから、最後に失敗したとも言える。

それゆえ、その信長は、「慎重さ」という意味で次点だ。そして、信長以上に慎重だったのが宮本武蔵だ。

宮本武蔵は、生涯六十余りの真剣試合をしたが、一度も不覚をとらなかったという。その極意も信長同様、相手が自分よりも弱いと思った相手としか試合をしなかったからである。

これは確かに、臆病とも言えるが、逆に言えば、それだけの知恵と観察眼を持っていたということでもある。そこが並の剣士と武蔵とが違うところだ。

       ★

話を馬場さんに戻す。実は、タッグマッチでは馬場さんは日本人に、2回負けている。一人は天龍、そしてもう一人が先ごろ亡くなった三沢だ。三沢が馬場さんをフォールした試合は今でも語り草になっている。三沢がトップロープからダイブしてのネックブリーカードロップで馬場さんにフォール勝ちしたのだ。

馬場さんはこの試合で、三沢こそ自分の跡目を継ぐ逸材であることを満天下に示したのである。



しかし、その馬場さんも三沢も、もうこの世にいない。

あの、「誰が一番強いのか。」というある意味、不毛で、しかし、ある意味、夢のある会話も今はどこにも無い。



まさむね

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