IPメッセンジャーは人と人との繋がりをどう変えるのか
IPメッセンジャー(以下メッセと略す)というソフトがある。
オフィスでの簡易チャットソフトである。これを使えば、社内の人に用事があるとき、いちいち電話をかけたり、席に行って、用件を伝えたりする必要がない。
このソフトを立ち上げて、伝言するだけでいい。大変、便利なソフトである。
いまや、このメッセが無いと仕事も進まないというような会社も多いのではないだろうか。
しかし、一方、でこのメッセの弊害も多く指摘されている。
傍から見ていると、メッセで仕事をしているのか、遊んでいるのかがわからない、いわゆる私的使用問題だ。しかし、これはメッセに限ったことではない。
そもそもインターネットというもの、管理側から見たら、そういった私的使用リスクがあるのはしかたがない。
各個がどのサイトにアクセスしたのかなどを、厳格に管理して、私的使用を把握しようとしている会社ももちろんたくさんあるが、費用がかかるし、実際に管理しきれるものではない。
完璧に管理するという発想自体が、徐々に非現実的になりつつある。
そういったことに労力を費やすのならば、各個との信頼関係をどう作っていくかに頭と時間を割くほうが現実的かつ建設的だと僕は思う。
しかし、このメッセは別な意味で大きなリスクを抱えているのではないかと最近考えている。
それは、会社内にオンラインでのコミュニケーションのレベルと、対面でのコミュニケーションのレベルというようにコミュニケーションが二重化することによって、社員間に、ある主の不信感が生まれる可能性があるのだ。
表面的には仲良くしていても、裏ではメッセで何か自分のことが話題にされているのではないかというような大げさに言えば、「疑心暗鬼」が生まれ、人と人との結びつきを薄っぺらにしてしまいかねないのである。僕はむしろ、そういった人と人との関係の希薄化のほうが大きな問題に発展するのではないかと思っている。
では、メッセなどやめてしまえばいいという話なのだろうか。
そうとも思わない。
悪いのはテクノロジーではなく、それを使う人々がテクノロジーを悪くもよくもするのである。
おそらく、メッセを導入するのは便利になるからいいとして、それ以上に、お互いの人間関係を豊かにするような手当てをし続けることが別途必要になると思う。
そうした信頼関係を築いた上使って、はじめてメッセが生きてくるのだ。
つくづく、難しい世の中になったものだ。僕が新卒で社会人になったころは、コピー機もなくて、「青焼き」という機械を使っていた。
そのうちにファックスが出来て、ワープロが出来て、PCが当たり前になって、インターネットが普及して...
人間を便利にするために生み出された「はず」のテクノロジーが逆に人間にストレスを与える。
そして人間関係をも変えてしまう。SFではなくそれが現実なのである。
しかし、そのことを自覚しているのとしていないのとでは大きな違いがある。
メッセ導入を逆に人と人との絆を再構築するきっかけにしてはどうだろうか。
ただ、言うは易く、行なうは難し。わかっちゃいるけどやめられない。それだけはいつになっても変わらない人間の真理なのである。
まさむね
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