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2009年10月25日 (日)

YUIはいったい何に対してそんなに憤っているのだろうか

YUIの「It's all too much」が、前作「Again」そして、昨年発売された「SUMMER SONG」と連続3作、オリコン週間ランキングで1位になったという。

これは、女性シンガーソンライターとしては、松任谷由実(「真夏の夜の夢」1993年7月26日、「Hello, my friend」1994年7月27日、「春よ、来い」1994年10月24日)、宇多田ヒカル(「traveling」2001年11月28日、「光」2002年3月20日、「SAKURAドロップス/Letters」2002年5月9日)に続く、史上3人目の快挙らしい。

なんとなく意外だ。

そういえば、安室奈美恵や浜崎あゆみ、倖田來未といったエイベックス系のアーティストはシンガーソングライターではない。自分自身の言葉とメロディで表現を行い、それを売り続けるということは、難しいことなのかもしれないと思った。



それにしても、前回の「Again」にしても今回の「It's all too much」にしても、YUIの怒りはどこに向いているのだろうか。



ねぇ 教えてよ あるがまま

生きていけるほど 純情なんかじゃない

争うことも 避けられないの



きっと 空回り 繰り返す教訓に 支配されてんだ

どうすればいいの?

ねぇ そうでしょ…



空想ばかり描いて進めない

愛想良くもなれない なぜだろう?

It's all too much


前作の「Again」もそうだったが、彼女は何を憤っているのだろうか。



罪の最後は涙じゃないよ ずっと苦しく背負ってくんだ

出口見えない感情迷路に 誰を待ってるの

白いノートに綴ったように もっと素直に吐き出したいよ

何から逃れたいんだ 現実ってやつか


80年代の尾崎豊が、幻想としての「敵」に向かっていったのははるか昔の話、90年代のミスチルのような「自分探しの旅」すらにも希望を見出せない、どこにも行き場のない水溜りのように淀んだ自分が描かれている。



「It's all too much」(もう、うんざりだ)というのは、ビートルズの後期、ジョージ・ハリスンの同名タイトル曲から付けられたと思われるが、僕の解釈だと、ジョージの「It's all too much」は、その頃(60年代後半)、全世界的に覆っていた愛に満ち溢れたメッセージへのアンチテーゼ、直接的に言えば、ジョンの「All you need is love」(愛こそはすべて)への皮肉だったと思っている。



しかし、YUIの歌う「It's all too much」は、そういった知的余裕とはかけ離れたもっと切実なもののように感じる。

それは、いつの間にか、負の遺産を担がされている世代の叫びだろうか。

そんなYUIのわけのわからない怪物とのタフな闘いは、あとどれくらい続けることが出来るのだろうか。

そういえば、昨年、突然の休業というもあった。

ちょっと心配である。



まさむね

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