西野カナの「Dear・・・」と浜崎あゆみの「Dearest」は確かに..
先日、「西野カナの「もっと・・・」で気になった「君」と「あなた」」というエントリーにさきさんに、西野カナは、浜崎あゆみのパクリではないかとの指摘をいただき、浜崎あゆみのジャケ写を見返してみた。
そうすると「No way say」というシングルのジャケ写と西野カナのニューシングル「Dear・・・」のジャケ写が酷似していることが確認できた。勿論、「似ている」「似ていない」というのは多分に主観的な感じ方の問題もあるのだが、僕にとって、「No way say」と「Dear・・・」は、ただ「似てしまった」以上のものを感じさせられたのも事実だ。
というのも、いくつか理由がある。
まずは、この浜崎あゆみの「No way say」(マキシシングル)には「Dearest」という曲が入っていること。
それゆえ、西野カナが「Dear・・・」を作った時に「Dearest」を意識したということは容易に感じさせるのだ。うがった見方をするならば、「Dear・・・」の「・・・」は「est」かもしれないとすら感じたのであった。
さらにもう一つ、二つの曲の歌詞にも共通点が見られる。
勿論、浜崎の詞はより内向的で観念的なのに対し、西野の詞は比較的単純でストレートではあるが...
Dearest 歌詞:浜崎あゆみ
本当に大切なもの以外全部捨ててしまえたらいいのにね
現実はただ残酷で
そんな時いつだって目を閉じれば笑ってる君がいる
Dear・・・ 歌詞:西野カナ
会えない時間にも愛しすぎて目を閉じればいつでも君がいるよ
ただそれだけで強くなれるよ
二人一緒ならこの先も
僕はむしろ、西野カナは、暗黙のうちに、「Dear・・・」において浜崎あゆみへの尊敬の念を表しているとすら思う。
あえて、いうならば、それはオマージュだ。オマージュと、パクリ、確かに線引きは難しいかもしれないが、wikiによるとオマージュとはこういう意味だ。
芸術や文学においては、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事。また作品のモチーフを過去作品に求めることも指す。

例えば、ジョン・レノンは「Come Together」で、自身敬愛するチャック・ベリーの「You can't catch me」の盗作であると訴えられている。
また、ジャケ写、そしてビートルズつながりで言えば、僕はモーニング娘。の「3rd-LOVEパラダイス-」はビートルズの「For Sale」というアルバムのオーマジュによる酷似だと心の中でイメージしていた。
実は、常々、そう感じていただけで、ちゃんと見比べたことは無かったのだが、今、こうして並べてみると、全員が立ち姿でこちらを見ていること、笑顔が無いこと、中央に背の低いメンバー(リンゴと矢口)が配置されていること、中央のリンゴと後藤が半身なことなど、似ていなくもないが、やっぱり並べてみると違いが目立つ。
つんく♂がもともと、ビートルズの大ファンと公言していたことと、二つの作品がちょうど、二つのグループが人気絶頂で、微妙に疲れてきた時点での作品という共通点があったもんで、そんな感じがしていただけかもしれない。

僕も大好きだ。
今回、このことに改めて気づかせてもらった「さきさん」に、感謝したいと思う。
ありがとうございました。
まさむね
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