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2009年11月20日 (金)

西野カナの「Dear・・・」と浜崎あゆみの「Dearest」は確かに..

先日、「西野カナの「もっと・・・」で気になった「君」と「あなた」」というエントリーにさきさんに、西野カナは、浜崎あゆみのパクリではないかとの指摘をいただき、浜崎あゆみのジャケ写を見返してみた。

そうすると「No way say」というシングルのジャケ写と西野カナのニューシングル「Dear・・・」のジャケ写が酷似していることが確認できた。勿論、「似ている」「似ていない」というのは多分に主観的な感じ方の問題もあるのだが、僕にとって、「No way say」と「Dear・・・」は、ただ「似てしまった」以上のものを感じさせられたのも事実だ。

というのも、いくつか理由がある。

まずは、この浜崎あゆみの「No way say」(マキシシングル)には「Dearest」という曲が入っていること。

それゆえ、西野カナが「Dear・・・」を作った時に「Dearest」を意識したということは容易に感じさせるのだ。うがった見方をするならば、「Dear・・・」の「・・・」は「est」かもしれないとすら感じたのであった。

さらにもう一つ、二つの曲の歌詞にも共通点が見られる。

勿論、浜崎の詞はより内向的で観念的なのに対し、西野の詞は比較的単純でストレートではあるが...



Dearest 歌詞:浜崎あゆみ

本当に大切なもの以外全部捨ててしまえたらいいのにね

現実はただ残酷で

そんな時いつだって目を閉じれば笑ってる君がいる


Dear・・・ 歌詞:西野カナ

会えない時間にも愛しすぎて目を閉じればいつでも君がいるよ

ただそれだけで強くなれるよ

二人一緒ならこの先も




僕はむしろ、西野カナは、暗黙のうちに、「Dear・・・」において浜崎あゆみへの尊敬の念を表しているとすら思う。

あえて、いうならば、それはオマージュだ。オマージュと、パクリ、確かに線引きは難しいかもしれないが、wikiによるとオマージュとはこういう意味だ。

芸術や文学においては、尊敬する作家や作品に影響を受けて、似たような作品を創作する事。また作品のモチーフを過去作品に求めることも指す。


結局、そこには尊敬があるのか、ただ、盗んだのかという作者の内面にかかわる部分があって、なかなか白黒つけがたい問題だと思う。

例えば、ジョン・レノンは「Come Together」で、自身敬愛するチャック・ベリーの「You can't catch me」の盗作であると訴えられている。

また、ジャケ写、そしてビートルズつながりで言えば、僕はモーニング娘。の「3rd-LOVEパラダイス-」はビートルズの「For Sale」というアルバムのオーマジュによる酷似だと心の中でイメージしていた。

実は、常々、そう感じていただけで、ちゃんと見比べたことは無かったのだが、今、こうして並べてみると、全員が立ち姿でこちらを見ていること、笑顔が無いこと、中央に背の低いメンバー(リンゴと矢口)が配置されていること、中央のリンゴと後藤が半身なことなど、似ていなくもないが、やっぱり並べてみると違いが目立つ。

つんく♂がもともと、ビートルズの大ファンと公言していたことと、二つの作品がちょうど、二つのグループが人気絶頂で、微妙に疲れてきた時点での作品という共通点があったもんで、そんな感じがしていただけかもしれない。



それにしても、時間、空間が離れた二つの作品の共通点を見つけ出すというのは面白い作業だ。

僕も大好きだ。

今回、このことに改めて気づかせてもらった「さきさん」に、感謝したいと思う。

ありがとうございました。



まさむね

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