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2009年11月10日 (火)

自民党から民主党への政権交代は一体なんだったのか

先日、僕は鳩山首相の施政方針演説を絶賛したが、就任以来の政策を見ていると「理念は立派だが現実は厳しい」といわざるをえない。ていうか、怒りすら覚えることもしばしばだ。



すでに大新聞からネットから、叩きまくっているのが、日本郵政の新社長の就任問題だ。これは誰がどう考えても天下りだ。

それに対して、民主党の鈍感さはどういうわけだろう。

例えば、大塚耕平内閣府副大臣は、ビデオニュースの中で



「天下りというのは、官僚が退職の後に、ほとんど何もしないで高給を取ることをいう。日本郵政社長という激務を引き受けてくれる人など民間にはいない。よく引き受けてくれたものだ。」



というような、"茶坊主of亀井的発言"を恥ずかしげもなくしていた。天下りの本質とは「高級官僚が合法的に、破綻した国家財政を尻目に富を収奪するシステム」である。だから、それが省庁の斡旋であろうが、大臣の政治任用であろうが、そんなことは大きな問題ではない。なんだかんだいいながら、結局のところ、官僚出身者が、国家システムの上で甘い汁を吸えば天下りなのだ。(今回の人事に関して、日本郵政を赤字国債というババ抜きで言うところのババの安定的引き先にするためとの見方もあるがそれはまた別の次元の話である)



以前にも書いたことだが、僕は、日本の歴史上で現代に最も似ているのは平安時代だと思っている。その平安時代、高級官僚の藤原氏は、国家財政が破綻しているのに、人民の土地を荘園=自分の庭だと言い張って、そこからの上納金(=名義料)を着服していた。そして、現代、同じような国家財政の破綻を尻目に、官僚たちは現代的で複雑な合法的手段で私腹を肥やしている。だから、今回の斎藤次郎氏の日本郵政社長就任も合法的な富収奪の一例にすぎないという本質を何故、民主党の面々は見抜けないのであろうか。

斎藤氏が小沢幹事長の長年の友達だから、小沢氏が斎藤氏に花をもたせたのだろう、などというあやふやな与太話はどうでもいい。問題は、激務だから天下りではないなどという詭弁もどうでもいい。だいたい、激務かどうかなど誰が測るのあろうか。さらに言えば、どこからが激務でどこからが甘務(っていういい方あったっけ?)なのであろうか。



結局は、国民が天下りだと思ったらそれは天下りなのだ。



天下り問題とは、国民の行政や政治に対する不信問題だからである。

民主党が選挙中に訴えたその解決法とは、国家と国民との信頼関係を取り戻すことだったのではなかったのか。

そして、その信頼の上に立ってこそ、鳩山首相が施政方針演説で語った「新たな国づくり」が出来るのではなかったか。

それなのに、その一歩目から躓いてどうするのだろうか。



平安時代に話を戻す。荘園制度という藤原氏による富の収奪システムは、そのうち、国家そのものでもある天皇家も同様の手口で私領を広げるような自体に発展する。そして、平安時代も末期になると、多くの荘園は藤原氏から、上皇の手にわたるようになる。

ようするに、システムはそのまま温存され、甘い汁を吸う存在が藤原氏から院に移行したのだ。

しかし、そんな擬似的な変革は長くは続かなかった。我慢も限界に達した地方の実質的土地所有者である武士が実力で、自治政府=幕府を作ってしまうのだ。それこそ革命的なことだった。



今の民主党は、残念ながら、天下りという官僚の富収奪システムを破壊するだけの力が無いようだ。

僕には、少なくとも今までのところ、自民党から民主党への政権交代は、藤原氏が院に変わっただけのようにも見える。



イイクニ(1192)はまだ、当分出来そうに無い。



まさむね

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