海の向こうに叡智があるという思想と小沢の朝貢の意味
内田樹氏は『日本辺境論』(新潮新書)の中でこう語っている。
ここではないどこか、外部のどこかに、世界の中心たる「絶対的価値体」がある。それにどうすれば近づけるか、どうすれば遠のくのか、専らその距離の意識に基づいて思考と行動が決定されている。そのような人間のことを私は本書ではこれ以後「辺境人」と呼ぼうと思います。
そして、さらにあとの部分ではこう語る。
辺境人の宗教性は独特のしかたで構造化されています。辺境人はこんなふうに考えます。私たちの外部、遠方のどこかに卓越した霊的センターがある。そこから「光」が同心円的に広がり、この夷蛮の地にまで波及してきている。けれども、その光はまだ十分には私たちを照らしてくれてはいない。

そして、その海の向こうに憧れを抱く時、実は、日本人が一番光っている時なのである。
古くは「古事記」において、大国主命(オオクニヌシノミコト)は海のかなたからやってきた少彦名(スクナヒコ)の知恵と技術の協力を得ることによって、はじめて、日本の国作りを完成するのだ。
また、山幸彦が海幸彦から借りた釣り針を探しに海底にある綿津見神の国に行き、そこの姫・豊玉毘売神(トヨタマヒメ)と結ばれる。さらに、その子・鵜茅不合葺命(ウガヤフキアエズノミコト)は、豊玉毘売神(トヨタマヒメ)の妹の玉依姫神(タマヨリヒメ)と結婚し、カムヤマトイワレビコを生み、彼が後の神武天皇となるのだ。
ようするに、神武天皇の祖母、母と2代にわたって母系に海の向こうの「血の力」が必要だったということだろう。
さらに、時代が下り、奈良時代の鑑真和尚。海の向こうから仏教の戒壇をもたらし、平安時代になると、伝教大師、弘法大師の二人が密教を持ち帰る。
遣唐使が廃止された後には、さらに海の向こうは理想化され、補陀洛渡海(ふだらくとかい)、西方浄土という思想として、海の向こうはさらに神格、理想化される。折口信夫がいう日本土着のマレビト信仰はこれらの変種に他ならない。
この流れは、武士の世の中になっても、清盛の宋に対する、義満の明に対する、信長のヨーロッパに対する憧れとして続いていく。その後、江戸時代には鎖国をするのだが、黒船来航、明治時代から、第二次世界大戦をはさんで、昭和の時代一杯、日本人が光り輝いた時代にはいつも「海の向こうへの憧れ」があったことが確認できるのである。

1960年当時の日本人の夢と希望は、まさに海の向こうにあったのである。
それは、ちょうどNHKの歴史ドラマとして始まった「坂の上の雲」の時代、海の向こうへ追いつき追い越すことを全国民的パワーにし得た明治時代と同様、活気ある時代だったのだ。
しかし、「坂の上の雲」を目指して上を向いて進んだ時代が、第一次世界大戦を越えたあたりから、謙虚さを失い、傲慢になり、国際的な孤立を深めて太平洋戦争に突入していくのとパラレルに、60年のパワーは、~80年代のジャパンアズナンバーワンの時代で経済力も傲慢な心も頂点を迎えるが、その後のバブル崩壊によって、昭和とともに消えてしまうのだ。
やはり日本という国は内田樹氏が言うように、世界の辺境に住む者として、とことん辺境人で行くしかないのであろうか。
そして、辺境人としての「憧れ」と「謙虚さ」を忘れないでいることが日本人にとって最も大切な倫理であり、生き方なのであろうか。
しかし、最近の日本の一人負け状態の不況、気の遠くなるような借金、日米首脳の微妙なズレ、本当の危機を伝えないマスコミ...そして、それでも世界の一流国という幻想から目を覚ませない、どうしても謙虚になれない日本人。
これから僕らは、一体どうなっていくのであろうか。

確かに、彼の一連の行動は、いつまでも世界の一流国でありたい僕ら日本人の神経を逆なでするようなものであったと言えなくもない。
しかし、一歩引いて、鳩山氏の迷走ぶりや、小沢氏の行動を最大限に善意に解釈するならば、それは現在の日本が国内外で置かれている危うい位置を、強引に納得させるための、彼ら一流の荒業的デモンストレーションなのかもしれない。
本当にヤバイところにまで来ないと目が覚めないという日本人のもう一つの特徴を逆利用しようとしている...というのはうがちすぎか。
まさむね
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