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2009年12月27日 (日)

西野カナの「もっと・・・」と自民党綱領に共通するなにか

いろんな音楽ヒットチャートがある。

オリコンの週間ランキング、ミュージックステーションでのランキング、CDTVランキング...

しかし、最近は、CDの売り上げだけではなく、着うた、着うたフル、itunesなどのダウンロードランキングの要素もあり、ヒット曲というものの性格が変わってきたのは確かだ。

以前のようなCD(パッケージ)のミリオンセラーが全くでなくなってきた。

『千の風になって』がヒットしたのが、2006年だから、あれから3年間もそういった類のヒットがないということになる。おそらく、これからもよほどのことが無い限り、ミリオンヒットというのは生まれないのだろう。

残念なことではあるが、それが時代の流れというものだ。



さて、そんな中で僕が注目しているランキングが、携帯のDAMのカラオケランキングだ。

例えば、(12.20~12.26)のランキングを見てみよう。

































































































































































順位 楽曲名 アーティスト名 今年 紅白
1位 ふたつの唇 EXILE
2位 白い恋人 桑田圭祐
3位 春夏秋冬 ヒルクライム
4位 もっと・・・ 西野カナ
5位 粉雪 レミオロメン
6位 キセキ GReeeeN
7位 Ti Amo EXILE
8位 Lover Again EXILE
9位 Love Forever 加藤ミリヤ×清水翔太
10位 いちょう 遊助



これは直近の週間ランキングであるが、けっして、最新のヒット曲だけで占められているだけではない。

今年発表された曲は「ふたつの唇」「春夏秋冬」「もっと・・・」「Love Forever」「いちょう」の5曲。ちょうど半分だ。

勿論、季節が季節だけに「白い恋人」「粉雪」などが上位に来ているが、これは、このサイトのトップページに推薦曲として貼られていたためだ。しかし、それにしても、これらの曲は、若者の間で歌い継がれている曲だ。



僕はここのランキングにのるような曲こそが、「広く」という以上に、「深く」根付いている楽曲として評価したいと思っている。

それは、これらの曲は、多くのユーザーがいわゆる「自分の曲」として歌いたい曲だからである。ある意味、真のヒット曲といえると思う。

例えば、9位の加藤ミリヤ×清水翔太の「Love Forever」。これは、今年の5月、僕がちょうど「w-inds.とモーニング娘。どちらが勝っても嬉しいし悔しい僕」というエントリーでw-inds.の「Rain is fallin'」とモーニング娘。の「しょうがない 夢追い人」のトップ争いについて書いたと同じ週に、発表された曲だ。その週には上記、2曲の後塵を拝したのだが、見事、この時期にまで歌い継がれている。本当に勝ったのは、この曲だったかもしれない。



さて、そんなこれらの名曲達だが、残念ながら、今年の紅白歌合戦には、EXILEとレミオロメンと遊助の3組しか選ばれなかった。しかも、そこで歌われる予定の楽曲で、このベスト10に入っているのは、レミオロメンの「粉雪」だけなのだ(EXILEは「Someday」、遊助は「ひまわり」)。勿論、GReeeeNや桑田さんなどは、紅白出場を「丁重にお断り」したのだろうが、それにしても、ヒルクライムや西野カナなど、僕の中では今年の世相を反映した名曲が選に漏れているのが不可解だ。

NHKも紅白の視聴率を気にするのならば、まともに人選、そして選曲をすべきではないが、ちなみに、和田アキ子という既得権益者が、初出場の「NYC boys」に関して、「私は知らない」と毒づいたらしいが、僕などは逆に何故、この人が紅白に出れるのかを聞きたかった。



それでは、何故、「春夏秋冬」(ヒルクライム)と「もっと・・・」(西野カナ)が今年の世相を反映しているのか。

今年は、おそらく、民主党が政権を奪取した年として、後世から記憶されるだろうが、民主党の政策の大きな柱である内需拡大政策、それが「春夏秋冬」と連動しているのだ。日本の四季折々の風物を車や電車で彼女と一緒に旅行しようという国内旅行推進ソングなのだ。そして、彼女と長い時間を共有して幸せを築こうという、誠にもってこじんまりとした価値観を歌った曲なのである。歳を取るまで一緒にいようという姿勢は、湘南乃風の「純恋歌」やGReeeeNの「愛唄」にも通じる、地方在住土着層の心情を表しているが、歌詞の内容がさらにストレートに相手に語りかけるようになっているのが特徴だ。

ちなみに、ヒルクライムは新潟県出身のヒップホップユニットであるが、今年は、NHKの大河ドラマで「天地人」でも、新潟が舞台になったし、夏の甲子園大会では、大会史上初めて新潟県勢(日本文理)が決勝に進出した。今年は新潟県の年だったのかもしれない。



一方、西野カナの「もっと・・・」は、加藤ミリヤの「AITAI」やMISIAの「逢いたくていま 」と同様、ストレートな歌詞がここまできたのかという究極的肉食女子曲である。とにかく、一曲を通して、自分の気持ちだけを延々と歌っているのだ。



今すぐ会いたい もっと声が聞きたい

こんなにも君だけ想ってるのに
「もっと・・・」(西野カナ)


会いたい会いたい会いたい会えない

私だけを見て欲しいよ
「AITAI」(加藤ミリヤ)


今 逢いたい あたなに

伝えたいことが たくさんある

ねえ 逢いたい 逢いたい
「逢いたくていま」(MISIA)


そこには、状況というものが一切描かれていない。自分の欲望だけなのだ。例えば、90年代の小室哲哉の詞には、少なくとも、歌の世界がどんな状況なのかが描かれていた。浜崎あゆみの詞には、内面の苦悩の物語が歌われていた。

しかし、これが、2009年の特徴なのであろうか。ここには、歌われている女性の客観的な状況の描写どころか、相手すら見えない盲目な欲求しかないように思える。

もっとも、このあまりにもストレートな表現というのが、若者の台詞だけだったら、それはそんなこともあるだろう。あのジョン・レノンにしても、オノ・ヨーコとの恋愛中には、「I Want You」というただ、「欲しい、欲しい」というだけのブルースを作っているのである。



しかし、この西野カナ的な「曖昧なセリフじゃもう足りないから」という余裕の無いストレートさは、時代の雰囲気として大人の世界にも共通している。とにかく、わかりやすければいいという風潮が見え隠れしてはいないか。

今年、衆議院選挙で政権の座を降りたとはいえ、長年、日本の保守政治の中心にいた自民党が12月に発表した党綱領の「政治理念・政策の基本」の項目にはこんなことが掲げられていた。



(1)品性ある国民、品格ある日本

 (イ)頑張れるものは頑張る

 (ロ)それでもだめなら皆で助ける

    (後略)

(2)不必要なことをせぬ政治

 (イ)自分だけ良ければ良いのではない

 (ロ)今だけ良ければ良いのではない

    (後略)

これって、「ようするに、これってそういうこと」というのをいきなり書いてしまったような文章なのだ。確かに、難しい言葉を並べればいいというものではない。しかし、ここには格調もプライドも美も無い。

これって、小学生への諸注意か!?



最近、僕がよく読んでいる内田樹先生は「言いたいことは言葉のあとに存在しはじめる」というエッセイこう言っている。

リアルなのは言葉だけである。言葉の向こうには何もない。けれども言葉は「言葉の向こう」があるという仮象をつくりだすことができる。

「言葉以上のものがある」と信じさせることは言葉にしかできない。それが言葉の力なのである。




どうすればいいのか、にわかにはわからないが、明らかにいろんなものが変わってしまったのではないだろうか。



まさむね

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