歌のあり方について、クリスマスの約束でそしてとにかく続けよ、続けよ、と誰かが言った(その一)
最近、歌のあり方みたいな当たり前のことをあらためて再考させてもらう2つのコンサートがあった。
一つは、昨年のクリスマスの日なのでもう大分立ってしまったのだが、TBSテレビで深夜放送された小田和正の「クリスマスの約束2009」。もう一つは松田聖子の大晦日のカウントダウン(これについてはその二で書かせていただきます)。「クリスマスの約束2009」の番組についてはご覧になった方もかなりおられると思うのだが、これは2001年からのスタートだそう。この間ぼくは旅行に行っていたりしたこともあるためフルで最初から観ているわけではないのだが、ここ3回くらいは続けて観ていると思う。
今回は小田が兼ねてから暖めていた企画ということで、総勢21組34名のミュージシャンたちが一堂に会し、それぞれの代表曲を歌うシーンが実現された。そこにいたるまでの初期の反目?や紆余曲折のドキュメンタリー(前段)も面白かったが、やはり上記ボーカルのシーンとそれに続いて会した皆が最後に小田の曲を歌うシーンが圧巻だった。
ゲスト出演者は以下の人たち。
AI
Aqua Timez
いきものがかり
キマグレン
Crystal Kay
財津和夫
佐藤竹善
清水翔太
JUJU
スキマスイッチ
鈴木雅之
STARDUST REVUE
中村 中
夏川りみ
一青 窈
平原綾香
広瀬香美
藤井フミヤ
松たか子
山本潤子
藤井フミヤに始まり、いきものがかりで終わった約20分強の歌のメドレー。全体のタイトルも演奏時間そのままをとって「22分50秒」。なかでももっとも印象深かったのは、それぞれ歌われた代表曲よりも、そのボーカルの背後でステージに陣取っている皆が合唱するときの光景だ。その音の圧倒的な深さと広がり。その声のエコーを受けたときの、まさに自分の代表曲を歌っているボーカリストたちの昂揚した幸福感あふれる表情の数々。歌とはまさにみんなに歌われることによって本物の歌になるというような。
そしてその先にあるのは、やがてボーカリストや作曲者が消えて読み人しらずになっても、いつか歌だけが残り、その歌だけが歌われ続けてゆくことだろう。けっきょく歌とはリレーなのだ、誰かから誰かへの・・・、続けよ、続けよ、と。最後に出演者全員で小田の曲を歌ったとき、多くの顔が涙で濡れていた。それを音楽の力、音楽の奇跡とかいろいろの言葉で後日形容されることもあるかもしれないが、当事者たちにしてみればほんとうは言葉で飾る必要などはない。
そういえば、佐藤竹善が一昨年の情熱大陸のコンサートで小田和正の「生まれ来る子供たちのために」を歌っていたっけ。歌は誰のものでもない、誰かに歌われるためのもの。以下「生まれ来る子供たちのために」の歌詞より抜粋引用。
多くの過ちを僕もしたように
愛するこの国も
戻れない もう戻れない
・・・・
・・・・
僕はこの国の明日をまた想う
ひろい空よ僕らは今どこにいる
頼るもの何もない
・・・・
・・・・
生まれ来る子供たちのために
何を語ろう 何を語ろう
・・・・
大きく手を拡げて
子供たちを抱きたまえ
ひとりまたひとり
友は集まるだろう
ひとりまたひとり
ひとりまたひとり
よしむね
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