居眠りしたら千と千尋の神隠し的な夢でも見そうな神社
先日、馬込に足を運んだ。
この辺りは、大正から昭和にかけて、馬込文士村といって、たくさんの文学者が住んでいたという。
尾崎士郎、宇野千代、山本周五郎、室生犀星、三島由紀夫、和辻哲郎、稲垣足穂などだ。
残念ながら、現在は跡形もない。三島由紀夫の白い洋館が残されているだけである。
街のいたるところには、地元の教育委員会が立てた案内板のようなものはあって、往年をしのばせるが、それはあくまで案内板であって、当時の雰囲気を残すものではなかった。
西馬込の駅近くには、JAがあったので、おそらく、ここは比較的最近まで田園地帯だったのだろう。それがおそらく、戦後、住宅街になったということが想像できる。
僕は初めての土地に行くと、そこの神社にも行ってみるようにしているのだが、この街にも湯殿神社という古そうな神社があった。
ちょっとした小山の上にある神社だ。狛犬を見ると、製作年が大正時代だという。狛犬は昭和に入ると軍国主義の影響もあって、筋肉隆々で勇ましい感じになるのだが、この時代の狛犬にはまだ、どこかユーモラスなところが残っている。
また、普通、都内の神社にはその由来などを示す看板などが立っているのだが、ここの神社にはそういったものは無かった。
湯殿という名前から想像するに、出羽三山の湯殿山から勧進されたものだろうか。おそらく、祭神は、大国主命=大己貴神といったところだろう。
その雰囲気はいかにも、古い神社という感じ、僕の好みだ。それにしてもここの銀杏は大きいな。
最近は、セキュリティの関係上、夜にはると、あるいは昼間でも部外者立ち入り禁止の場所が増えたが、神社の多くはいつでも誰でもが入れる場所として残されているのは嬉しい。
東京都内にもまだまだ、こういう古風な場所が残っている。それも住宅街の中にエアポケットのようにして。
近所の子供達は、たまにはここで遊ぶのだろうか。もし、この神社の境内で居眠りでもしたら、「千と千尋の神隠し」ライクな夢でも見そうだ、なんてことを想像してしまった。
まさむね
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