福田和也の「人間の器量」はつまらない茶坊主本だった
福田和也の『人間の器量』(新潮新書)を読んだ。
昔の人には大きな人が多かったという。そして、一方で現在の人々が他人に対しての評価が厳しくなっているという話だ。
なんとなく、その通りのような気もするが、どうなのだろうか。一種の「昔はよかった本」のような気もする。
では、福田和也の「器量のものさし」はどういったものだろうか。
少し読み進めてみるとこんな箇所があった。
石原慎太郎さんには、具体的にかけないけれど、本当にお世話になりました。
一番すごいと思ったのは最初にお目にかかった時以来、対等につきあってくださった事。
私は、ご長男とほぼ同じ年なんですけどね。まったく友達同様につきあってくれた。いきつけのイタリア料理店にも来てくださって、私の友達に「石原です」なんて自己紹介をする。誰でも知ってますって。
でもこの感じが、器量の大きさを感じさせるのですね。
これって器量の話なの??普段傲慢な人が、普通のことをしたら「大物」に見えた(錯覚した)という話にしか思えない。
また。この文章に続いて、角川春樹が、ある予約していたある店にはいったら、予約がされていなかったがそのまま店を出たという逸話が出てくる。
それを指して器量が大きいとほめている。
これも似たような話だ。
道に寝ていたホームレスに家を一軒、くれてやったとかそういう豪快な話が出てくるかと思いきや、そんなことはなにもない。
伊藤博文にしても、芸者の踊りをきちんと見ていたという程度の話である。それって器量の話なの??
以前、この一本気新聞のエントリーで、福田和也の「日本の近代」に関しては、ただのノスタルジー本ではない福田和也の「日本の近代」と評価させていただいたのだが、今回の新書は、残念ながらただの茶坊主本だ。
まさむね
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