「経済成長という病」を読む。経済にも春夏秋冬があっていいよね。
平川克美さんという現役の社長さんが書かれた本で講談社現代新書の一冊。この方はたしかフランス文学者の内田樹さんの小学校時代からのご友人だそう。内田さんとは共著で本を書かれているらしいが、ぼくは初めてこの方の本を読んだ。
途中やや抽象的すぎるような箇所もあるにはあるが、中味はきわめて至極当然のことで、われわれは、経済というものは、ほんとうに成長し続けなければならないのかへのアンチテーゼが伏流のようにながれて一貫している。人の一生には、少年期、青年期、壮年期、老年期があるのに、なぜ経済状態にはそうしたステージがあまり想定されないのか、いつも不思議に思っていた。経済にも春夏秋冬があっていいはず。その意味でも本書の示唆する内容は僕にはとても共感できた。
こうしたことが現場の第一線のビジネスマンから直接語られていることでより説得力が増している。というよりもビジネスの最前線で働いている人にこそ、こういう風に語ってほしかったと思う、そんな本のひとつだ。
その中で平川さんは2000年の夏から秋にかけてのいわゆるITバブル時代のさなかに、バブルの先棒を担いでいたご自身の過去の行いについても自戒をこめた形で回顧している。ちょうどその頃、ぼくも金融業界に移ったばかりで投資銀行の末端に近いところにもいたので、あのころの気分や周りの酔いしれ方、新興IT企業を巻き込んだ業界の浮沈のことが今もまざまざと思い出されるような気がする。あれから10年が過ぎた。
平川さんの筆先は、いろいろとうねりながら蛇行しながらも、経済成長という幻想・神話の終焉(剥離)を明らかにしていこうとする。それがエッセイとも論文とも異なる文の彩で語られてゆくわけだが、そのクロスオーバー的なところが本書の魅力のひとつともなっているし、同時にそれが好き嫌いの分かれ目にもなるかもしれない。
だが中味についてはもうこれくらいの紹介にとどめて、後は興味のある方にはぜひご一読をお勧めしたい。最後に、なるほどそうだなぁと頷せていただいた一説の幾つかを書き留めて終わりにしたい。
◎多くの人間は、未来を思い描いていると思っているが、実はただ自分が知っている過去をなぞっているだけなのではないか
◎出生率が低下し、人口が減少してゆく社会の未来は、必ずしも暗いものではなく、むしろ人口適正社会というべき状態を作り出し、人口増加社会が持っていた多くの問題を解決する
◎老いは退行であり、忌むべきものである。ゼロ成長モデルはうまくいかない。そう思うのは、老いもゼロ成長もまだ経験したことのない、未来だからである
いつの時代でも希望や可能性が最小限必要だとするなら、成長一辺倒という軸とは異なる可能性こそがこれからの未来において考えられていかなければならないように思う。世阿弥の花伝書ではないが、老いには老いにふさわしい舞いがあるはずだ。その時分、その時々の舞いを踊ることができればそれでよしとする潔さをせめて持っていたいと思うが、どうだろうか。
よしむね
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