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2010年3月29日 (月)

「龍馬伝」の”無理”が微妙に気になり出している

「龍馬伝」の微妙な無理が気になって仕方がない。



例えば、龍馬が何故、土佐勤王党に入ったのか。おそらく史実では尊皇攘夷思想、つまり、武市半平太とほぼ同じ考えだったからではないのか。

ところが、先週の話だと、武市の暴走を止める(?)ためということを匂わせていた。

武市がそのようなセリフを龍馬に言って、龍馬はそれを否定しなかったところだ。



つまり、「龍馬伝」では龍馬は尊皇攘夷とはとても思えないのである。



また、脱藩に関しても、「土佐が息苦しい」程度で決意するのはどう考えても安易ではないのか。

もっと広い世界を見たいだけであれば、再び江戸に出ればいいだけの話だ。先日は、久坂に会いに長州にも行っている。行動は比較的自由だったのではないだろうか。



沢村惣之丞に勧められたということだが、彼と龍馬との絆は十分に描かれていたとは思えない。彼の説得が龍馬にそれほどの説得を与えたということが見えてこないのだ。

勿論、吉村寅太郎は話題に出てきただけで、確か画面には一度も登場していない。



おそらく、真相は、武市による吉田東洋暗殺の犯人にされることを恐れた龍馬は「逃げた」というのが真相だろう。

勿論、この行為は責められるべき話ではない。ある意味、当然の行動だろう。



龍馬を聖人的に扱おうとするからこういった無理が生じるのである。

しかし、そこを泣き顔、音楽、映像でごまかしているような気がしてならない。



勿論、僕はそれでも「龍馬伝」を物語として楽しんでいる。福山も魅力的だ。



今後も見続けたいとは思うが...



まさむね

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