「邪悪なものの鎮め方」は、考えるヒントの佃煮である
最近、内田樹先生の本をよく読む。ていうか、内田先生の本しか読んでいないと言っていい。
「現代霊性論」「寝ながら学べる構造主義」に引き続いて「邪悪なものの鎮め方」。
これも名著だ。さすが、いい本は考えるヒントをくれる。
短いエッセイ集なのだが、すべて面白い。
その中から一つ、「そのうち役に立つかも」というエッセイがこれまた出色だ。
引用させていただこう。
しかし、知性のパフォーマンスが爆発的に向上するのは、「その有用性が理解できないものについて、これまで誰も気づかなかった、それが蔵している潜在的な有用性」見出そうと作動するときなのである。自分が何を探しているかわからないときに自分が要るものを探し当てる能力。それが知的パフォーマンスの最高の様態である。
そして、この知性の働きのことを内田先生は、レヴィストロースの「野生の思考」から援用した言葉でブリコルールという。
いきあたりばったりに見えて、実は物凄くいいブリコルール的感性を持っている人になりたいものである。
というと、僕がまず思い出すのが、坂本龍馬である。彼は幕末という激動の時代に、さまざまな人とめぐり合いながら大きく日本を動かした(ということになっている)。
おそらく、彼が、武市半平太に会い、勝海舟に会い、松平春獄に会い、桂小五郎に会い、西郷隆盛に会い、陸奥宗光に会いって、一見なんだか偶然そうなっているようにも見えるが、実は彼の超ブリコルール的感性がなせる業かもしれないのだ。
なにせ、その当時だって日本の人口は何百万人(あるいは一千万人以上)もいる。その中で、彼だけが一介の素浪人として偉業を成し遂げたのは、やはり彼には特別な才能があったと考えてもいいのではないだろうか。
それにしても、後にどんな人になるかわからない人と出会って、とりあえず友達になっておく、そしてその友達が後にみな大物になる、そんな人生があったら素敵だろうな。
逆にいえば、今考えると、僕は本当に多くの人を見逃してきたなぁとも思う。
さて、話は変わるが、僕がなんでこんなに内田先生を持ち上げるかというと、今日、はじめて、挨拶以外でTwitterで返事をいただいたのがなんと内田先生ご本人からだったのである。
先生が今日、お墓参りに行かれたとつぶやかれたので思わず家紋は何でしたか?ときわめて不躾にしかも何気なく尋ねたところ、下記のようなお答えをいただいたのであった。
levinassien @dearpludence うちの家紋は平凡な「丸に横木甲」です。
字が間違っているとはいえ、それはそれで先生の味と僕は解釈したい。
先生ありがとうございました。
まさむね
ちなみに僕のTwitterのアカウントは、以下です。ほとんど、本の告知と有名人の家紋の啓蒙活動で使っています。もしご興味がありましたら、フォローなどしてください。dearpludenceは、もちろん、ビートルズの楽曲から。また、pludence が prudence ではないのは、ただ先にどなたかにとられていたからです。
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