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2010年5月 9日 (日)

なんだかんだ言っても「がんばれ高城」ということだ

よしむねさんも紹介されていて、以前から気になっていた「オーガニック革命」(高城剛著)を手にとってみた。

高城氏に関してはいろいろと感じるところがあるのだが、とりあえず、本の中身についてから語り出してみたいと思う。



高城氏も自身のブログで述べていたが、この「オーガニック革命」は売れているらしい。確かに、読みやすいし、中盤のイギリス経済の現代史などのところは、「こいつ只者ではない」感を十二分に感じることが出来た、その種の入門書としてはよくまとめられた読み物だと感じた。

また、本書20ページあたりにもある以下の指摘は面白い。

まずは「水・食料」「資源・エネルギー」「外交」「娯楽」の4つを最低限、個人で確保すべきということだ。


特に、4番目の「娯楽」の個人化という指摘は僕の見解とも重なるところが多い。例えば、高城氏はこう語る。

僕のいう娯楽とは、いま一般的に言われている娯楽とは少し違う。ある意味、宗教的なものというか、自分と向き合うためのあたらしい、"娯楽"が増えると思っている。人々は、いままで以上に自分自身について考えることになるだろう。

人間とはいったいなんなのか、ここにいる私とはいったい誰なのか。そんな自問自答こそが次世代の娯楽になる。時間は必要とするが、あまりお金はかからない。




勿論、先にあげたようなブログの中で高城氏が書く以下のようなレベルの話と僕が言っている話とは立ち位置が全く違うのだが、少なくとも、企業が社会やメディアが用意した"娯楽"ではなく、それぞれが自分自身を掘り下げて考えてみることが"娯楽"になるという点で僕と高城氏の認識は近いと思う。

おそらく、彼の場合、それが「オーガニック」であり僕の場合は「家紋主義」になるのであるが、僕の「家紋主義」に関しては、またいずれ別のエントリーでしてみたいと思う。

このロンドンの生活がなければ、いまだに僕は夜な夜な着飾ってパーティに繰り出し、高級ガソリン車を駆って、深夜営業の店を飛び回る二十世紀の囚人になっていたことだろう。


     ★

実は、僕は彼の言う「オーガニック」というものにはそれほど興味があるわけではない。基本的にそれは、金持ちの思想的モビルスーツだと思っているからだ。僕ら通勤電車に毎日2時間揺られ、朝食もおにぎり2つ(ツナマヨ、タラコ等)、夕食は家庭料理みたいな生活をしていて、勿論、自動車も持っていない、毎週土曜日の午前中、C型肝炎の治療の帰りに自転車でマクドナルドのクォーターパウンダーを買いにいく(あるいは、1ヶ月に1回の都内霊園めぐりをする)のが楽しみみたいなレベルの層からしてみれば、彼の以下のような話は雲の上の話なのである。



例えば、高城氏はこう話す

数年後を目処に、僕は沖縄で食べ物とエネルギーを100%自給自足する、あたらしいシステムの構築を目指している。水を循環させ、電気は自家発電、さらにはミニ水田を作って食べ物もすべて自分で賄えるようにしたい。


「100%自給自足か、じゃあ、東京、あるいはオーストラリアから沖縄まで歩いて、あるいは海を泳いでいくのは大変ですね、その場にいなくても稲は育つんだ、台風とか来なければいいね。」というような意地悪も言いたくなってしまう。



もしかしたら、高城氏を前にした僕は大変偏狭な心の持ち主かもしれない。



意地悪ついでに言えば、おそらく高城氏は基本的には輸入業者なのだろう。世界中を飛び回って、新しい潮流を見つけてきては、日本に紹介する、外国は進んでいるのに、日本はこんなに遅れているということを言い立てる啓蒙家だ。

その輸入品が、あるときは、シリコンバレーのITだったり、イギリスのオーガニックだったりするだけなのだ。残念ながら、彼が作り出すもののオリジナリティはあまり無い、「チキチキマシン」とか。

さらに言えば、僕は彼のストリート系の人々や若い女性、いわゆる高感度な人々へのシンパシィに対して、微妙な欺瞞を感じている。

その欺瞞とは、例えば、メディアやネットで情報を取得しているようじゃだめだ!!、真実はストリートにあるから、自分の目と足で確認せよ、とのたまう(115ページあたり)割りに、この本に出てくるデータはほとんどネットや経済誌からのものというようなところである。

      ★

さて、彼は今回の離婚騒動に関してブログでこう語る。

いま僕が日々対峙しているのは、本来対峙するべき人と違います




これはあくまでも想像だが、おそらく、相当タフな人々ともつき合わされているのだろう。

勝手ながら、同情申し上げます。



しかし、なんだかんだと言ったが僕は基本的に、高城氏の無邪気な少年性は尊敬に値すると思っている。

そのエネルギーと行動力と好奇心と矛盾をいとわない鈍感力はうらやましいとすら感じているのだ。

正直、現在の日本に必要なのは客観的に見れば、この高城氏的強引さだと思う。



だからこそ言いたい。がんばれ、高城!!



まさむね

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