「家紋主義宣言」と靖国問題(よしむねさん書評を読んで)
先週、よしむねさんから、誠にありがたい書評をいただいた。
僕とよしむねさんが共通しているのは、かなり大雑把に言ってしまえば、昭和といういい時代に、青春を迎え、現代という苦境の時代に中年を迎えたという、二つのまるで、違う時代を生きてきたということだ。
僕らが生まれた昭和後期は日本人にとって、未来を、そして社会を、信頼することが出来た時代である。そこでは、普通に生きて、普通に働いていれば、普通に幸せになれると素朴に信じることが出来た時代と言い換えてもいい。
その頃の僕らは、おそらくそんな安穏とした世界の中で一生を終えるはずだったのだ。
そしてその安穏さと引き換えに僕らは過去の歴史をどこかに置いてきた。僕らの学生時代には、戦前、戦中(つまり昭和前期以前)という時代は忌まわしいものとしてただ否定し、時に茶化していればよかったのである。そして、実際にそういった言説があふれていた。
例えば、僕が学生時代に作っていた「一本気新聞」というミニコミには、グループ交際特集という特集があったのだが、そこの「グループ交際宣言」というコーナーには、「グループ交際には核を持ち込まない」という一節がある。もちろん、ジョークだ。
しかし、当時の文脈ではジョークだったその一節は、今でもジョークとして成立しているのだろうか。
僕らはフッと立ち止まらざるを得ない。それが平成の現代である。
つまり、時代は変わったのだ。バブル崩壊、ビッグバン、構造改革、リーマンショック...いつの間にか、僕らは信頼できるものをどんどん破壊された(あるいは破壊し)、そして自分自身とは何なのかということを考えざるを得なくなったのだ。
今回の鳩山さんの普天間問題でのバタバタは実は僕らのバタバタでもあると僕は思っている。他人事ではないのだ。戦後、アメリカに無自覚に守られてきた僕らは、無自覚ゆえに、「そろそろ出て行ってもらえますか」といえば、「まぁいいか、いいですよ。」とでも言ってもらえると、どこかで思っていたのではないだろうか。それは鳩山さんと一歩も違うことがない。僕らは全員でファンタジーを見ていたのだ。
戦後、過去を忌まわしいものとして排除してきたゆえに、その意味すらよくわからなくなった日本とは何かという問題、それは、つまり靖国神社とは何かという問題である。
僕は靖国神社とは、日本人にとって死者は怨霊にならずに、御霊になって僕らを護ってほしいという素朴な心情を国家主義が曖昧に吸い上げたシステムだと思っている。だから、そこには厳格な契約があるわけでもない。「御霊は集まって炎のようになりひとつになる。だから分祀はできない」という観念は、僕らには、なんとなく腹に落ちてしまうものではある。
しかし、そんなこと誰が決めたわけでもなければ、どこに書いてあるわけではない。
だから、論理的に外国に指摘されたら勝てるはずがないのだ。日本人は、そのことをまともに考えてこなかったのだから。
唯一、日本人に論理があるとすれば、それが日本人のやり方だから、とやかく言われる筋合いはないということだけなのである。
だから、僕らが合理主義的に、靖国問題を考えようとすると、必ずデッドロックに陥ってしまう。
そして、分祀論というのを言い出す人も出てくる。しかし、その意見にしても自信なさげだ。合祀という定義が曖昧なのだから、分祀だって曖昧にならざるをえないのだ。
そうこうしているうちに、頭がこんがらがってくる。僕らの歴史は一体どこにあるのだろうか。
そして、いつの間にか僕らは日本の歴史といえば、まるで幕末と戦国しかないかのように考えさせられているのだ。
僕が「家紋主義宣言」で言いたかったのは、ある意味、靖国問題をどう相対化すればいいのかということだった。
そのために、最終章で柳田國男の「先祖の話」を出して、僕らはただ、普通にご先祖のことを忘れないようにすればいいのだと言ったのである。
そして、ご先祖を思い出すきっかけのひとつとして家紋というデザイン、そして物語に一人一人が目覚めようと言ったのである。
さらに言えば、靖国問題を右と左という対立ではなく、将門の怨霊と桔梗紋の戦いという全く別のファンタジーで示して見せようとしたのである。それがうまくいったのか、いかなかったのか、面白かったのか、くだらなかったのかは読者の皆様のご判断にお任せするしかないが、僕の家紋主義は、ある意味、まだ始まったばかり、そして僕らの「帰り道」をどうさがしたらいいのかというテーマもこれからだと思っているのである。
まさむね
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