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2010年7月23日 (金)

DaddyとBodyの国 アメリカ

この間、早めの夏休みをとってハワイに行ってきた。たかがハワイ、でもされどハワイで何度行っても楽しいことは変わらない。当地では泳いだり、ドライブしたり、渓谷を歩いたりとゆっくりしてきたのだが、今回改めてアメリカはつくづくDaddyとBodyの国なのだなあと思った。

ビーチでたらっとしていると子供たちが何度も「Daddy、Daddy」と呼びかけているシーンに出くわすことがある。単に言葉の問題だけではなく、アメリカでは未だに父性や父権が健在なのだと思う。つまり父親が父親として(呼ばれることが)いまだ機能している社会なのだと思う。

アメリカ人は成年に達すると親元を離れていくことが当たり前とはよくいわれる。だからせめて子供時代だけは親も目一杯、彼らの子供たちと遊ぶ。そのときの親(特に父親)としての意識と記憶。それがアメリカ文化の大きな基層をなしていることはいまもそれほど変わらないように思うのだ。もちろん部分的にはいろんな崩壊があるとしても、だ。強い父親とカッコいい父親。父親に遊んでもらった子供時代の記憶。ベースボールにおけるキャッチボール、その記憶のDNAはまた自分の子供たちに引き継がれてゆく。だからアメリカはいまだにサッカーの社会ではなくベースボールが基本の国なのだ。

ぼくは子供がいないので自ら父親となった記憶がないのだけど、翻ってわがニホンはどうかというと、もう父親不在となってずいぶん久しいように思う。日本における(父権と)母権の問題についてはたとえば江藤淳の「成熟と喪失」や古くは柳田国男の「妹の力」などいろんな考察や展開が可能だと思うのだけど、ここではそれ以上については言及しない。ただ父親よりは依然母親が生きている(機能している)ようには思うのだが、いかがだろうか。

そして語呂合わせを楽しむ意図があるわけではないのだが、アメリカはDaddyにあわせてつくづくBodyの国なのだと思う。Bodyとはまさに肉体に対する意識の意味だ。それは鍛えられた肉体、健康な肉体からマッチョな肉体、そしていつまでも若々しいアンチ・エージングな意識まで含んだもの。

ここにもカッコいい父親の延長として自ら鍛えられた肉体を有している父親像が求められることにつながってゆくことになる。ぼくが滞在していたホテルでも夜になるとホテル内のジムにやってきてトレーニングに励む父親の姿が見られた。お父さんも強い父親を演じるためには汗だくになりながら大変なわけだ。

また単に男の側の問題だけではなく、アメリカ人のジョギングをふくめた健康志向やアンチ・エージングや美容に対する意識の高さなど、男も女もつくづくBodeライクな社会だなあと思う。映画「SEX AND CITY]も一面その産物だろう。Bodyへの志向性の強さからはある意味で行き過ぎた異常な状態とも言えるかもしれない。日本でも似たような(後追い的な)風潮もないではないが、基層での先駆性ではいまだにアメリカが突出しているように思う。それがいい悪いはここでは論述するつもりはない。

今後アメリカがどこに向かってゆくのか、21世紀が世界的にどういう世の中の風潮になってゆくのか、ぼくには分からないが、アメリカにおいてDaddyとBodyがどのように変質してゆくのか、それを見てゆくこともヒントのひとつにはなるかもしれないとも思う。そして日本におけるDaddyとBodyとは何かについて、あらためて考えてみたい気もする。どなたか、ぜひご意見でもください。コメントもお待ちしています。



よしむね

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