何故,龍馬は急に紋付を着るようになったのだろうか
「龍馬伝」の第三部が始まった。先週からだ。
その前の週の放送で、武市半平太と岡田以蔵を助けようとした龍馬は、自分が吉田東洋を暗殺した真犯人だと後藤象二郎に嘘をつく。
そして、弥太郎の導きによって半平太の牢屋に行って、彼を説得しようとするのだ。
さらに、龍馬はその直前に実家に戻り、離縁してほしいと兄に告げる。彼が犯罪者になることによって、坂本家に迷惑がかかるのを阻止しようとしたということなのだ。
まぁ、これを史実ではないと言うほど僕は野暮ではないが、それにしても、彼が坂本家から離縁された直後の長崎の場面から組み合い角に桔梗紋をつけた羽織を着るようになる経緯に関しては、もう少し丁寧に彼の心情を追ってもいいのではないかと思った。
彼は物語上ではすでに坂本家の人間ではないのだ。ということは彼が紋付を着ることは単純に言えば矛盾しているのである。
しかし、逆に、だからこそ彼が心の中に「坂本家の魂」を持ち続けるために敢えて紋付を着続けることを決心したというような挿話があってもいいのではないかというのが家紋主義者の願望であった。
また、先週の話だが、長崎の料亭で長州の高杉晋作、伊藤俊輔、井上聞多が坂本龍馬をはじめとする海軍操練所上がりの脱藩浪士に初めて会うというシーンがあったが、坂本龍馬以上に、陸奥宗光に感情移入している僕にとっては、陸奥が江戸遊学時代に伊藤俊輔(後の伊藤博文)とはすでに出会っており、尊皇攘夷で意気投合しているという事実がまるで無視されているのにちょっとがっかり。
もし、陸奥の人生をメインストリームに物語を作るとしたら、江戸で伊藤と出会い、お互いに信頼関係を持っていたことが、後の伊藤内閣において彼が外務大臣として抜擢され、条約改正を成し遂げる伏線となるはずなのである。
ちなみに、陸奥宗光に対する思い入れは、「家紋主義宣言」にも書かせていただいたが、僕と宗光のお孫さんの陽之助氏(実はこの陽之助という名前は宗光のあざなでもある)とのちょっとした縁があったからなのである。
陸奥家三代に流れる冷徹なリアリズムをNHKはどの程度描いてくれているのだろうか、それが今後の「龍馬伝」の楽しみだ。
まさむね
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