Body主義は家紋主義と対極にあるのかもしれない
山田昌弘先生の「なぜ若者は保守化するのか」という本の中には、現代人がアイデンティティを確認する手段として、消費と同時に身体というのもがあるということを書いている。
よしむねさんの「DaddyとBody」を読ませていただき、山田先生の論がまず頭に浮かんだ。
その箇所(36ページあたり)を引用してみよう。
そしてもう一つのアイデンティティを確認させてくれる手段が「身体」なのである。バウマンは前近代社会では、職業や家庭は個人の肉体の時間を超えて続くものであったという。代々の職業、代々続く家系は、自分の人生を超えて続くはずのものであった。近代にあってしばらくの間は、仕事も家族も一度手に入れると、「一生もの」として、自分の人生と同じ時間続くとしてよかった。にほんではおおむね50歳以上の人は、そうした感覚を持っているだろう。それゆえリストラされたり離婚された中高年の男性の心理的ショックは大きく、自殺も増える。
しかし仕事と家庭が流動化している現在、自分の肉体のみが、自分が生きている間続く唯一の自分の「持ち物」となる。自分が自分であるところの拠り所として、身体への関心がたかまるのもこのような理由からである。
よしむねさんがおっしゃる通り、Bodyへの意識に関しては、アメリカが突出しているように思われるが昨今の日本の健康志向も、それと同じ地平にあるのは確かだ。
僕はC型肝炎で痛い目にあったが、実はそれほど身体に対する意識が高くはない。正直、あまり関心がないのである。僕はそれ以上に「意識」や「価値」といったものの方に関心がある。だから、自分の身体をどうこうしようというよりも、なぜ人は身体に対してこれほど異常に関心を持つのかということを考えることのほうに興味があるのである。
そういう意味で僕は真に「おたく(オタクではない)」だと思う。
さて、山田先生の論を大雑把に自分的に要約するならば、日本人は代々続く家系という物語を失ったからBodyに関心を持つようになったということである。ということは僕が家紋主義などと言って、家紋という過去への帰り道(物語)を日本人のアイデンティティとして重んじる志向と、自分の身体にそれほど興味が無いということはどこかでつながっているのかもしれない。
おそらく、歴史を徐々に忘れつつある日本人はこれからどんどん、身体重視の傾向になっていくに違いない。それは一方でアイデンティティを支える消費がしにくくなっているからでもあるが、反面、日本人が世界へ提示(輸出)できる価値として、低エネルギー消費のライフスタイル=オーガニック革命の伝統国であるというポジションが、さらにマスメディアなどによって喧伝されていくと予想されるからだ。
クールジャパンという流れは、現時点ではオタク文化、ファッションなどにフォーカスがあたっているようにも思えるが、実はフードライフスタイルのほうが需要があるのかもしれない。
では、家紋主義はそんな中でどこにスタンスを取るべきなのだろうか...これは僕のテーマだ。引き続き考えていきたいと思う。
まさむね
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