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2010年7月 5日 (月)

品川神社にある板垣退助の墓と狛犬達

先週の土曜日に海晏寺、天妙国寺とならんで、品川神社へ行ってきた。

ここは、板垣退助の墓があることでハカマイラーには知られている場所である。

確かに、神社の奥、境内外に板垣退助の墓はあった。僕の子供の頃は百円札の白髭の爺ということで有名だったが、最近の彼の認知度はいかばかりであろうか。戊辰戦争では、藩命に逆らってでも官軍に従軍したり、征韓論に敗れて下野し、自由民権運動では先頭に立って戦った。相当な烈士だったのだろう。

墓は小高い丘から下を見下ろす場所にあり、墓は悠然としているのだが、どこか寂しげでもある。

家紋は五三の桐。通称、土佐桐ともいうらしい。



先月、よしむねさんが「将軍的微笑の午後、品川神社まで歩く」というエントリーで以下のように書かれていた。



美術館にしても神社にしても必ずしも必要性からだけでは量れない形で、意味のないだだ広い空間が残っていたりするのがとてもいい。奥の院の配置とか、現代の建築の多くがたぶん失ってきたもののひとつだろう。


確かに、この品川神社は無用な場所が多い。そしてその場所に、近所の消防団の記念碑とか、ブランコとか、必ずしも必要とも思えないオブジェが雑然と残っている。「まぁいいか」の精神とでもいおうか。このいい加減さがなんとも心地よい。日本の神道のひとつの良さではないかと僕はひそかに思っている。



さて、この神社の大きな特徴の一つは、各時代の狛犬が一同に会していることかもしれない。

長い神社の階段の前にはいかにも大正末期~昭和初期のいわゆる軍国主義狛犬(右絵)と呼ばれる筋肉隆々で姿勢のいい狛犬がいる。一般的にはカッコいい部類に入ると思われる。ここの他では、乃木神社や東郷神社の狛犬が典型だ。

そして、長い階段を上がったところに見られるのが江戸の狛犬(左絵)だ。寛政という記録文字が見える。江戸の狛犬の特徴は姿勢が素朴なこと、躍動感はないがどこか愛嬌がある。どこか江戸のご隠居を髣髴させる趣がある。



そして、本堂の前にあるのが明治の狛犬(右絵)だ。この時期の狛犬の多くが子供を足元に遊ばせている。子供に対する愛情を感じさせる。富国強兵の時代の名残だろうか。彫刻的にも西洋風が入り込んでいて江戸の狛犬に比べると筋肉表現が巧みになっている。僕はこの時期の狛犬が一番好きだ。



さらに、これは余談、品川神社にはないのだが、戦後、昭和期の狛犬は機械彫りといって画一的な狛犬が多い。これも機械化の一つのメリットでもあり弊害でもある。そして、最近では平成の新芸術狛犬というのも出てきているらしい。これは聞いた話ではあるが、若き美術家たちが狛犬に自己表現の場を見つけているというのである。

まったくもって楽しみな話である。



まさむね

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