渋谷川の庚申塚に思う日本人のしたたかな洒落っ気
会社の近くの渋谷川にかかるこうしん橋の脇に庚申塚がある。
この橋供養碑は、寛政十一年(1799年)に建てられた橋供養塔であって数の少ない珍しいものです。
上部の青面金剛のほかに、四面すべてに橋講中世話役や万人講および、個人の名が多数きざまれてます。

つまり、当時の庶民は、自分達の普段の些細な悪行を改めようとするのではなく、その悪行を伝えさせないようするという方法で罪にたいする罰を逃れようとしたのだ。
もちろん、それは、悪知恵というよりも、多少の洒落と解釈すべきだろう。僕はそんな人々のいいかげんな共犯的振る舞いこそ日本的だと思う立場である。
しかし、この庚申信仰は、明治政府が俗信として廃することによって、近代以降は廃れてしまったという。
近代そして現代という時代はこうして一つづつ、人々からおおらかさ、そしてそれに基づいた結びつきを奪っていった過程なのである。

おそらく、それらの比較的広い範囲の人々がこの渋谷川界隈を頻繁に通っていたのだろう。そしてそれらの人々は比較的裕福だったのだろう。だから、お布施としてこの石塔を建てたのだろう。
神社に行くと僕は周りを囲っている石塔に書いてある名前に注目することにしている。そうするとその土地のかつての有力者、いわゆるお大尽の家が分るのだ。例えば、新宿花園神社の石塔には「伊勢丹」の名前が彫られている。それによって、新宿という土地に歴史的にもっとも根付いている企業は「伊勢丹」だということをあらわしている。それは三越でも、丸井でも京王でも、小田急でも、西武でもないということなのだ。
そして、そういったお大尽が土地の人々に仕事を与える、いわゆる公共事業的な意味で、かつては寺社などが作られていたのであろう。それが日本中に寺社が存在していることの大きな理由だと思う。
なにせ、日本全国のコンビニの数よりも、稲荷神社の数の方が圧倒的に多い。それは日本人は信仰が篤いということと同時に、金をお大尽から庶民に回すためのシステムの結果なのである。
現在、民主党政権によって、かつてのそういった金回りのシステムがさらに壊されつつある。子供手当てや農業の個別支援策などがそうだ。そこには、村や町の「顔役つぶし」をする、そこには、日本のシステムを根本的に変えようとしているという大きなテーマがあるのだ。
僕も一時期はそういった地域社会の構造改革に対して支持をしていたが、最近は、いかがなものかと思うようになってきた。
おそらく、一人一人が自立して生きていけるほど、僕らは強くない。
お上(天帝)にゆるく逆らいながら、お互いの些細な悪行を許しあう共犯的な夜通しの宴会を楽しんできた、したたかな洒落っ気こそが僕らの伝統なのである。
まさむね
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